
(過去にもこれについていろいろ書いていますので、ご興味ある方はこのブログの「カテゴリー」の中から「ビンボーでも学校へ行こう」というカテゴリーをクリックしてみて下さい。)
私の仕事は中小零細企業の再生コンサルタントなので、資金繰りに困った社長さんからの相談が日常業務なわけですが、毎年この時期になると、本題のついでに、お子さんの進学費用についての相談もよく受けます。
私はこれに対して、必ず「大丈夫です。何とかなりますよ」とお答えしています。
その根拠は・・・、もう何度も書いていますので、過去の記事を読んでみて下さい。
とにかく、親がどんなに金欠でも、ブラックでも、破産者でも、子供は進学できます。
行きたいところへ行かせてあげて下さい。
専門学校に行きたければ行けばいい。
東京の私立大学に行きたければ行けばいい。
海外に留学したければ行けばいい。
意志あるところに道は開ける。
学費を調達する方法は多岐にわたります。教育ローンがダメなら社会福祉協議会がある。社会福祉協議会がダメなら奨学金がある。奨学金が1つで足りないなら2つ3つ申請するという手もある。奨学金を運営している団体は数え切れないほどある。最後の奥の手としては新聞奨学生というのもある(私も新聞配達してました)。
また、調達とは全く違う角度での切り抜け方もあります。学校に直接相談して、授業料を少し待ってもらったりする方法です。(私も大学3年のときに授業料納付が遅れて一旦除籍になり、慌てて分納で払って元のサヤに戻ったことがあります。危うく中退になるところでした。今思えば、これが人生初のリスケジュール交渉でした。しかも銀行にたとえれば「期限の利益喪失」後のリスケジュールのようなものであり、なかなか難易度の高いことを学生のうちに体験したことになります。こんなことも現在のベースになっているんでしょうね)
いくつか例をあげましょう。
[その1]
私の同級生で、慶應の医学部に進学した男がいます。彼は母子家庭の借家暮らしでした。本当は東大の医学部に行きたかったのですが落ちてしまい、仕方なく慶應の医学部に進んだという天才でした。
慶應医学部は6年間で計2000万円近い学費がかかるそうです。(それでも私大医学部の中では一番安いほうだとか・・・) 彼はその学費を全て、奨学金でまかないました。奨学金は1口だけでなく、何口か使ったようです。中には授業料免除の奨学金もありましたが、卒業後に返済するタイプの奨学金のほうが多く、彼は卒業して医者になった時点で1000万円以上の借金を抱えていたことになります。
でも、医者になればそのくらいの借金はどうってことありません。むしろ、借金は自分を奮い立たせるためのバネになりました。
[その2]
私が新聞配達をしていた19歳のとき、同じ配達所に日大の学生がいました。彼は親と喧嘩して援助を断ち切られて一人暮らしをしているという身でしたが、成績が悪かったため奨学金が出なかったそうです。それで生活費と学費の両方を捻出できる新聞奨学生を選んだとのことでした。彼がその後どうなったかわかりませんが、彼がそのときよく言っていたのは、「新聞奨学生というのは就職がものすごくいいんだぞ。なにしろこの仕事は大変だから、卒業まで続けられる奴は体育会系より骨がある。企業もそれを知っている。」
[その3]
やはり私の同級生で、国立大学の理系に進んだ男がいます。彼もまた家が貧乏で、学習塾にさえ行かせてもらったことがありませんでした。彼は入学後、家賃5000円の寮に入り、少し成績が良かったので学費も免除してもらい、そのうえ奨学金を借りたり家庭教師のアルバイトもしていたので、金銭的にはへたなサラリーマンよりも余裕のある大学生活が送れるようになりました。彼はここで、単なる学問だけでなく、「生き抜く知恵」を学びました。
他にも挙げたらキリがありません。
情報を駆使しましょう。
情報力と行動力で、どんなイバラの道でも切り開けます。
猫