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吉田猫次郎のブログ(2005年~2020年分)

事業再生コンサルタント・吉田猫次郎の旧ブログです。恥ずかしいけど残しておきます。2021年からは別の場所に移転しました。

 

手形不渡りを出してしまった後の再建


Category: 企業再生・事業再生関連   Tags: ---
同様のテーマで、昨夜、勉強会を開催しました。
参加人数はゲスト(不渡り経験者3名と専門家1名)を入れて総勢10名という少人数でした。
やっぱり最近は手形を使う人が減ってきているんですね・・・。

読者の皆様のご参考のために、昨夜使ったテキストを一部修正してコピペします。
作成者は私です。細かい解説は省略します。


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【不渡りをギリギリで防ぐ方法】

・手形ジャンプ
 - 最もよく知られている不渡り回避策。相手方と交渉して、従前の手形を破棄し、新しい手形を振り出し、期日を延期することに同意してもらう。もちろん信用は落ちる可能性が高い。
・3時過ぎの入金
 - 銀行に頼んで裏口から入れてもらう。断わられることも多いが、うまくいった経験者も多い。珍しいケースでは翌朝一番に入金して間に合った人もいる。
・銀行に支払い異議申立て(異議申立預託金)
 - 契約不履行や何らかの被害に遭った場合に有効。但し額面同額の預託金を用意しなければならない。
・依頼返却(手形の所持人と交渉して、所持人から銀行に返却を申し出る)
 - これはヤミ金(システム金融)との和解交渉で使われることが多い手法だが、一般にはほとんど知られていない模様。
・法的手続き(おもに争いの余地が高い場合のみ有効)
 - 特定調停&調停前の事前措置や、仮処分申請など。昔、手形貸付の高利商工ローンと戦う際によく利用されていた手法。

(参考)ひとくちに不渡りといっても、0号不渡、1号不渡、2号不渡がある。(0号は形式不備等/1号は資金不足等/2号は契約不履行や詐欺盗難紛失等)


【1回目の不渡りが出てしまったら?】

・2回目が出ないように延命努力すべきか?
・それとも、いっそ潔く清算するか?
・金融機関へ説得(期限の利益喪失、担保処分の回避)ができるか?
・取引先の風評、信用失墜を最小限に抑えられるか?

 - 以上の「見極め」が肝要。延命しても意味がない場合もあるし、延命すべき場合もある。信用失墜や期限の利益喪失による一括請求も最小限に防げる場合も多々ある。


【2回目の不渡りが出てしまったら?】

・当座預金なし、普通預金口座のみで商売を続けられるか?
・借入なしで商売を続けられるか?
・債権者からの取立て(一括請求、訪問)を丸く収めることができるか?
・担保処分との戦いをどうするか?
・連帯保証人対策をどうするか?
・そもそも商売を継続するか?それとも廃業するか?
・継続するとしたら現在の会社のままで維持か?それとも第2会社に事業譲渡して今の会社は清算か?

 -以上の「見極め」が極めて重要となる。置かれている状況によっては2回不渡りを出して銀行取引停止処分になってもそのまま事業を継続維持できる場合もある。


【不渡り後の再建方法-大きく2分類】

1.新会社へ事業譲渡して、旧会社は自己破産などで清算する
 - 会社は潰れるが、中身の「事業」は別の会社で引き継いでもらって生き残りを図る。
2.現会社をそのまま継続維持する
 - ドロ臭い自力再建か、それとも民事再生法など法的手続きを使うかなどに細分される。零細企業は多くの場合前者を選ばなければならないが、前者の場合、取立てや資金不足や信用失墜は覚悟。

 ちなみに、2年後には銀行取引停止処分は解除される。


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他専門家とのコラボレーション~人と人とのつながりが不可能を可能にする!


Category: 企業再生・事業再生関連   Tags: ---
ウチに相談に来られる方は、銀行基準的にいえば、

「正常先」・・・・・2割
「要注意先」・・・・4割
「破綻懸念先」・・・3割
「実質破綻先」・・・1割

といったところで、他の経営コンサルタントでサジを投げられたような末期症状的な会社も少なくありません。

よって、解決の手法も、「リストラ」や「借り換え」や「リスケジュール」といった比較的軽いツールだけで片付くケースはさほど多くなく、多少傷を伴う手法や外科手術的な手法も必要とされます。
「リスケ専門」「ファイナンス専門」といった偏った窓口対応は許されません。

また、うちは法律事務所ではないし、「清算」や「手続き」よりも、
「再生」や「生き残り」を追求する事務所ですので、「破産専門」を謳うわけにももちろんいきません。

「引き出しの多さ」が求められます。
経営の知識、財務やファイナンスの知識、リストラクチャリングの知識、リスケジュールの知識、保証協会代位弁済の知識、抵当権の知識、サービサーの知識、連帯保証人の知識、事業譲渡の知識、会社分割の知識、M&Aの知識、民事再生法の知識、破産の知識といった事業再生の基本から(これらはほんの基本にすぎません)、それらをどう組み合わせて実践に応用するかというノウハウ、各業界の知識、はたまた経験から積み上げられてきた細部に宿る小ワザまで、いろいろ知っていないと務まりません。
ややオーバーにいえば、「何でも知ってないと務まりません!」

うちのメイン顧客である「零細企業や自営業」の場合は1万円のお金にも困っていることが非常に多いので専門家を多数使うことはなかなかできませんが(この場合アドバイス中心で、基本的には自力再生の方向で頑張って頂きます)・・・、たまに来る「ウン十億円規模の比較的大きな会社」の再生になると、他の専門家とのコラボレーションも欠かせなくなります。(ここでいう他の専門家とは、多い順に、弁護士さん、税理士さん、司法書士さん、不動産業者さん、社会保険労務士さん、行政書士さん、M&A仲介業者さん、不動産鑑定士さん、その他特殊な専門家です。 ちなみに中小企業診断士はウチの社内に1人います。)

たとえば会社分割。会社分割の場合(1)法律の専門家(違法性の有無や契約書書類のチェック・作成、登記など)(2)税務会計の専門家(資産目録の作成や財務デューデリなど)(3)事業再生コンサル(専門家の人選などコーディネート役や事業デューデリ、最初の診断など)といった最低3者が必要になります。これを1人の専門家だけでやろうとすると、法律か税務か事業のどれかで大きな穴が空いてしまい、どこかで大失敗してしまう恐れがあります。うちでは弁護士さんと税理士さんでチームを作って取り組むことが多いです(多いといっても会社分割自体少ないのですが・・・)。会社分割は非常にデリケートな手法なので、そっち方面に強い弁護士・税理士とどれだけつながりがあるかが鍵を握るといっても過言ではありません。また、不動産を所有している会社の分割には不動産鑑定士の出番もある場合があります。

民事再生や破産が必要そうな場合は、よくヒアリングしたうえで、こりゃ法的整理が欠かせないだろうなと判断したうえで、弁護士さんに「丸投げ」します。これら裁判所の手続きを伴う整理・清算は弁護士の独占業務だからです。もちろん報酬のやりとりにも一切タッチしません。 但し、民事再生中の企業の「事業そのものの再生」(P/L再生)を診る場合には、これは法律手続き外のことですので、うちでお手伝いします。

顧問税理士との関係が悪いために財務内容がガタガタで、このために金融機関から受けられるはずの融資が受けられないような会社もあります。これを税理士のせいにするかどうかの見極めはなかなか難しいのですが、時と場合によっては、他の「しっかりした税理士さん」を紹介することもあります。いい税理士さんは大勢います。

社労士さんの出番もあります。ほとんどの会社では、人件費のウェイトがやはり最も高い比率を占めていますから(労働分配率が6-7割を占めている会社が多い!)、これをどうするかを考える上で、社労士さんや税理士さんの意見は大変貴重になります。

社長さんが個人名義でカードローンの多重債務を抱えていることもあります。こういうときは、額によって違いますが、弁護士または認定司法書士さんを紹介して任意整理や過払い請求、あるいは個人再生手続きを受任してもらうことがあります。(これらもまた法律事務なので)

第三者の連帯保証人がついていて、その連帯保証人さんを何らかの形で守るためには、弁護士または司法書士さんを紹介して個人再生手続きを依頼する場合があります。

担保つきのローンが延滞気味で、金融機関から任意売却を求められているような場合には、任意売却に長けている不動産業者を紹介することもあります。また、不動産鑑定士さんの出番がある場合もあります。鑑定士さんは全国的に人数が少ないですが、私は非常に信頼のおける熱いハートの鑑定士さんを何人か知っています。

法的整理と組織再編とP/L再生と個人債務の整理を含んだ複合的なケースでは、弁護士さんを中心に立てて、税理士と不動産業者と社労士と事業再生コンサルの5人チームのような形で再生にあたることもあります。

ちびっ子向け「スーパー戦隊シリーズ」の主題歌ではありませんが、

「ひとりひとりは小さくても 5人揃えば ごらん 無敵さ~」 の境地です。


私自身は大した能力はありません。
ただ、「これは法的整理向きだな」とか「これは私的整理向きだ」、「これは事業譲渡より会社分割に向いてるぞ」、「これはリスケなんかしなくても借り換えでいけるぞ」、「これはリスケも借り換えもいらん。それよりも本業の利益を伸ばせる余地があるから診断士向きだな」、「この会社は経営者不在、舵取り不在だから、経営者代行的なターンアラウンドマネージャーが必要だ」、「この会社はこんな潜在能力があるからM&A向きかもな」とか、そういった「目利き」には自信があります。
方向性を示唆して、コーディネートすることには絶対の自信があります。

専門家はとかく専門的に偏りがちなので、こういう役割もまあ必要ではないかと・・・。


また、同業の事業再生コンサルタントとも親しくさせて頂いています。
「地域」や「業種」によってはウチであまり得意でないこともありますので、その道の再生に強い同業者さんは貴重な存在です。フランチャイズ業界にめっぽう強い藤原さん、北海道エリアに強い札幌の事業再生士の山崎さん、関西方面のとびきり優秀な事業再生コンサル(井原さん、松居さん、中村さん、森元さんら)を6-7人集めてLLC組合を立ち上げられた事業再生士の廣田さん、西日本のホテル旅館の再生に強い立石さん、農業再生に非常に強い中小企業診断士の酒井さん&金久保さん、などなどなど。

人と人とのつながりが、不可能を可能にします。
私はそういう事例を、数え切れないくらい見てきました。

今後ますます、交流範囲を広げていきたいと思います。

これは私自身にとっても大きな「財産」です。

(私は「資産」は何も持ってないけど、こういった「財産」には本当に恵まれているなあと感謝しています・・・)




トイチダイエット、再開


Category: 猫次郎のダイエット&運動日記   Tags: ---
人生3度目か4度目のダイエットを、1月2日から開始しました。

前に名付けた「トイチダイエット」の再開です。
「10日で1kg」という、さほど無理のない減量プランです。
30日で3kg、90日で9kg、120日で12kgというわけです。

目標は、5月に開催される自転車レースまでに、12kg落とすことです。

現在身長168cm、体重78kg。(この1年で4kgほど増えてしまった・・・)
これを、65~66kgに落としたいと考えています。

12kg以上落とすことは、2006年春から夏にかけて一度実行したことがあるので(86kg→73kgに減量した)、そのときと似たようなやり方で、つまり食事の量を1日1500kcal前後に抑え、運動量を増やして、健康的なやり方で励みたいと思います。


猫次郎10周年~誕生秘話


Category: 借金苦による自殺問題   Tags: ---
 2001年1月10日に猫次郎と名乗ってホームページを開設してから、今日で10年になります。

 猫次郎、満10歳。

 非常に感慨深いものがあります。
 いつもより文章が上手く書けません。
 泣きそうになりながら、これを書いています。



【その1.本に書いてない裏話~息子のこと】


 この話題には滅多に触れることがありませんが、今回は特別に書きます。

 私には息子が1人います。2000年9月17日に生まれました。

 3歳までは仲睦まじく一緒に暮らしていましたが、2003年11月に別居してからなかなか会えなくなり、2006年4月に正式離婚。その後も時々会っていましたが、元妻が再婚して新しい家庭ができてからは全く会っていません。最後に息子と会ったのは2007年8月30日でした。つらいことなので、日時や当時着ていた服まではっきり憶えています。今でも毎日毎晩のように息子のことを思い出します。夜は酒が欠かせません。(会うなとは言われていませんが、複雑な思いがあり、なかなか会いたいと申し出ることができずに現在に至っています。)

 私は1999年~2000年の間に、借金苦や倒産危機でおおよそ考えられる最悪の出来事を、ほぼ全て味わいました。生き残るために本当に必死でした。子供ができたのはまさにその最中のことでした。種族保存の本能でしょうか、それとも神の啓示か何かでしょうか、あのときの心境は、うまく言葉で説明することができません。

 最近になってようやくカミングアウトできるようになりましたが、私は2000年1月6日に、保険金目当てで自動車事故にみせかけて自殺しようとしたことがあります。ド素人だった私は、借金返済のためにはこの方法しかないと思っていたのです。さいわい自殺は未遂、いや、未遂にすらならず、カスリ傷ひとつ負わずに帰宅することができましたが、翌日以降はまた厳しい現実に引き戻されました。ヤミ金の返済、月末の商工ローン返済、支払いの山など。妊娠が判明したのは、その直後のことでした。

 普通なら、そんなひどく逼迫した時期に子供を作るなんて言語道断、堕ろせと言われそうです。とても喜べそうにありません。実際、私も元妻から妊娠の事実を告げられたときは、複雑な表情を浮かべ、とても喜んでいるようには見えなかったそうです。でも私は嬉しかった。ただ、「喜び100% + 厳しい現実ウン% = 容量オーバー」といった感じで、とても手放しで喜べるような状態ではありませんでしたから、それが表情に出ていたのでしょう。

 とにかく嬉しかった。大袈裟かもしれませんが、死にそうな自分を、新しい命がつなぎ止めてくれたような感じでした。

 なにしろ年商の3倍以上もの借金、そのほぼ全てが高金利、ヤミ金まで手を出しているのです。誰がどう見ても自己破産するしかない状態なのです。しかも無知だった私は、自己破産イコール悲惨・一家離散・社会復帰不可能だと思い込んでいましたから、こりゃやっぱり自殺して保険金で返すしかないのではないかと、何度も何度も同じ思考をグルグルしていたような時期でした。人知れず。

 お腹の中の子供は、そんな私を生き返らせてくれたのです。
 
 「カッコ悪く悲惨な思いをするくらいだったら、保険金で借金を返して死のう」

という気持ちが日増しに強くなっていた自分が、子供ができたことを境に、

 「いや、カッコ悪くても生き残ろう!生まれくる子供のために!」

と大きく変化していったのです。
 
 そういう意味で、息子は私の命の恩人です。大恩人です。

 その後、私は強くなりました。2000年2月から夏にかけて自力で債務整理し(自己破産はしなかった。弁護士に依頼する金もなかったので特定調停や本人訴訟などを駆使しつつ自力再建を目指した)、夏までにはあれほど手強かった高金利の借入先をほぼ全てゼロ金利か低金利に引き直し和解し、元金も半分以下に減り、本業(家業の貿易会社)も少しずつ活気づきはじめて、ようやく再建の目処がたってきました。
少しずつ、厳しい現実と共存しながら、傷を負いながら、かっこ悪く・・・。

 そして9月17日の台風の日の夜、都内の病院で、難産の末、息子が誕生したのです。無事に。

 これがどれだけ嬉しかったことか。

 (私が当ブログで、毎年9月17日になると意味深なことを書いているのは、実は、会えない息子のことを想いながらのことなのです・・・)

 生後3ヶ月経った、2000年のクリスマスから年末にかけてのこと。
いつになく静かな休日を過ごすことができたある日、ようやく首がすわり始めた息子の寝顔を見ながら、ふと思いました。

 「思えばこの1年、すごい経験をしたなあ~。まだ問題は山積みだけど、俺が今こうして生きているのも、この子の(そして妻の)おかげだ。これを何かに書き残したいものだ・・・」と。

 これが猫次郎のはじまりです。私が32歳のときのことです。



【その2.猫次郎誕生秘話 ~ 本より引用】


借金なんかで死ぬな!借金なんかで死ぬな!
(2009/06/19)
吉田 猫次郎 朝日新聞出版

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 この本の36~37ページから、一部引用します。(修正前の原稿からコピペ)

 ≪ 話は2000年に戻りますが、このようなことがきっかけで、私は、自分の弱さを再認識すると同時に、「借金」についてより深く考えるようになっていきました。「借金は悪なのか?排除すべきなのか?」「いや、排除したら事業が存続できないではないか?どんな会社だって借金はあるぞ」「債務整理をして一度信用を失ったら、やはり再起できないのか?」「そんなはずはない。あってはならない。何か良い知恵を振り絞って、逆境と戦いながら事業を発展させるのが俺の使命だ!」「生まれた子供のためにも、逆境と戦い抜けるたくましい男になりたい!」「世の中にはきっと同じような境遇の人がいるはずだ。彼らはどうやって苦境を乗り切っているんだろうか!?」……などと、一人で自問自答する日々が続きました。そんなことを考えているうちに、2000年が暮れていきました。

 実にいろいろなことがあった1年間でした。

 年が明けて、2001年の正月休みのこと。

 私はふと、自分のこれまでの借金地獄の体験を、体験記としてホームページに書き綴ってみたい衝動に駆られました。理由はふたつです。ひとつは、自分と同じような境遇の人がいたら、何かの参考にしてもらいたいという、いわば「何かを与えたい」という気持ち。もうひとつは、同じような経験をしたことのある人がどのくらいいて、どのようにして厳しい現実を生き抜いてきたのか、情報を交換したいという、いわば「何かを得たい」という気持ち。このふたつの動機に駆られ、私は正月休みから毎晩、1週間ほどかけて、自分の体験記といくつかのコラムを書き綴った「借金地獄・倒産危機から、自力で脱出する方法」というホームページを開設しました。さすがに本名を名乗るのは恥ずかしいので、適当に「猫次郎」などと名乗りました。

 これが吉田猫次郎の始まりです。 ≫



【その3. あれから10年】


 ホームページを開設した当初は、この活動を仕事にしようという気持ちはありませんでした。
本業が別にあったので、そちらに専念しながら、片手間に、ひっそりと運営できればそれで十分と思っていました。
 ホームページを作成すること自体が初体験で(正月休みにパソコンショップで7980円のソフトを買って説明書を読みながら作成した)デザインも何も素人そのもので、そりゃもうひどい出来栄えでした。文章の量を除いては。
 
 ところが、いざ開設してみると、アクセス数が急速に伸び、感想メールや相談めいたメールも毎日数十通来るようになり、その反響の大きさに驚きました。(当時はそういうwebサイトが少なかったのです)

 手間を省くために「まぐまぐ」に登録し、メールマガジンで毎週体験記を更新し、そのメルマガ記事をホームページにコピペするという手順でホームページの分量を増やしていったのですが、それも今にして思えばアクセス数アップの原因だったかもしれません。(今でいうSEO対策のようなことを無意識のうちにやっていたんですね・・・)

 そして、月日が経つにつれ、ホームページを通じて、半ば自然発生的に、情報交換できる仲間が増えていきました。彼らのおかげで、実体験ベースしかないド素人だった私の知識やノウハウは少しずつ肉付けされていき、当初のひそかな目的だった「何かを得たい気持ち」と「何かを与えたい気持ち」は、あっという間に達成されていきました。

 2001年夏には某大手出版社から「このホームページは面白い。ぜひ本にしませんか?」という打診のメールが来ました。内心嬉しくて飛び上がりそうでしたが、このときは丁重にお断りしました。恥ずかしいのでひっそりやっていきたかったし(妻には内緒でした)、本を出すほど立派なものを書ける自信もなかったし、本業の土台がまだまだ不安定だったのでそちらに力を入れるのが先決だと思い・・・。

 同年秋、最初の離婚危機が訪れました。子育てに大変で経済的にも苦労をかけている妻にこれ以上余計な心配をかけまいと思ってやったことがいろいろ裏目に出て、夫婦間の信頼関係が一気に崩れていったのです。それ以来、私も妻に話しかけることに異常に神経を使うようになり、会話がますますぎくしゃくしていき、会話が減り、修復が難しくなっていきました。私は妻を愛していましたが、意識すればするほど固まってしまい身動きがとれませんでした。(私も病んでいたのかもしれません)2002-3年頃には夫婦間の会話は皆無に近くなっていきました。

 2003年春、本業の片手間のはずだった猫次郎のホームページが(図らずも、自然発生的に)ますます賑やかになり、内容も増え、出版社からも2-3社打診が続き、徐々に自信がでてきた私は、同年4月、満を持して、初めての本を出版しました(『借金にケリをつける法』サンマーク出版)。この本は好評で、翌々年には文庫化するに至りました。

 しかし、この頃にはもはや夫婦関係は修復困難になっていました。本を出版しても喜んでもらえず(私のほうも自信をもって報告することができず)、夏が過ぎ、秋がきて、別居の話を切り出され、2003年11月8日、妻は3歳の息子を連れて新居に引っ越していきました。

 息子はその前日まで、私の仕事場にしょっちゅう連れてきたり、父の私とベッタリ過ごしていました。

 このときの喪失感は、とても言葉で言い表すことができません。

 本を出す少し前から、「別れ」の予感はありました。何とか妻と修復したかったけど、意識がフリーズしてしまってどうすることもできませんでした。

 その頃から、私は「猫次郎」としての活動を、息子の成長と重ね合わせていくようになりました。
「猫次郎」が満5年になったら息子は5歳。「猫次郎」が満10年になったら息子は10歳です。息子のつもりで「猫次郎」を育てよう。成長記録を残そう。そして遠い将来、息子が大きくなったときに、自分の実のお父さんがこんな活動をしていることを少しでも誇りに思ってくれたら、こんな嬉しいことはない、と。

 猫次郎は私であり、息子でもあり、別の新しい何かでもある・・・。


 私はよく、猫次郎としての現在の活動を、「求めがあるからやっている。求めがある限りは続ける。でも、求めがなくなったらすぐ辞める」と言っています。この言葉に嘘偽りはありません。求めがないのにそこにあぐらをかいてしがみつきたくはありません。

 でも、もっと本心を言えば、「今ではすっかり仕事となってしまったこの活動。息子の分身のようでもある。大きく育ったものだ。願わくば、これからも時代の変化に応じて自分自身も変化・成長していきながら、求められ続ける存在でありたい。そして長く継続していきたい・・・」と思っています。(商業的にはずっと貧乏なままですが、おかげさまで知名度やノウハウ、人脈、再生実績等といった「お金に代えられない財産」は随分と積み上げることができたなあ、と我ながら感じています。)

 そんな意味で、「猫次郎」を10年続けることができたというのは、ひときわ感慨深いものがあります。



【その4. 猫次郎という名前の由来】


 これも初公開の話です。

 私は本やホームページで、「何も考えず、適当に猫次郎と名づけました。深い意味はありません。3秒でネーミングしました・・・」などと述べていますが、これは半分ホント、半分ウソです。

 前述のとおり、私は2001年1月10日に万感の思いで猫次郎のホームページを開設しました。
仕事にする気はなかったけれども、何かを得たい、何かを与えたい、これ以上ないほどの逆境をはねのけたい、と。

 そのとき、ふと思い出したのが、漫画「キャプテン翼」に出てくるエースストライカー、日向小次郎でした。
日向小次郎は主人公(大空翼)の少年時代からのライバルで、小学生の時に父親を亡くし、小学校高学年の頃から新聞配達をして家計を助け、そうしながらサッカーで日本一、いや世界一のエースストライカーを目指すキャラクターで、その性格から「猛虎」と呼ばれています。逆境を乗り越え、道なき道を切り開いてきたパイオニアのひとりという設定です。
 私はそれにちなんで(私も高校~大学のときに足掛け3年半ほど新聞配達をしていました)、「猛虎」、いや、でも俺は「虎」という感じではないから「猛猫」かな? だとしたら「小次郎」じゃなくて「猫次郎」だな、アハハ・・・と、半ば冗談、半ば本気でネーミングしたのが始まりだったのです。

 いっぽう、吉田という姓は、これより少し後につけたものです。猫次郎という名前だけではちょっと淋しくなってきたので、何か苗字をつけよう、でも本名(吉川博文)からは恥ずかしいから取りたくない、吉という字だけ残して、違う苗字にしよう、と・・・。




 以上、短く書くつもりでしたが、やはり長文になってしまいました。

 ごくごく個人的な話です。いろいろウェットな要素も含んでいますから、盛大に祝うような気にはなれません。

 でも、軽く一人で祝いたい気分です。
 
 今日2011年1月10日は、私にとって、とても神聖な日です。



 吉田猫次郎



(追記) これまたちょっと恥ずかしい告知ですが・・、今週1月12日(水)の夜にテレビ出演します。
 フジテレビ系、さんまさん司会の 「ホンマでっか!?TV」 というバラエティ番組。
 テレビ出演は過去にも「報道ステーション」や「ガイアの夜明け」など10回以上ありましたが、バラエティ番組にスタジオ出演するのは、これが初めてです。恥ずかしい役回りなので私はたぶん見ませんが、お暇な方はよろしかったらご笑覧下さいませ。

新年ご挨拶


Category: 猫次郎のたわごと(未分類)   Tags: ---

110102motosuko
2011年1月2日 本栖湖にて。 真ん中に小さく見えるのは富士山。 ここで初釣りをしてきました。 釣果はもちろん0匹!



お正月休みです。皆様いかがお過ごしでしょうか?

私は大晦日の夜まで仕事していましたが、正月はまったりとお休みしています。1日は家族とちょっと会い、2日は本栖湖へ釣りに、3日は未定、といった具合です。

事務所は6日からOPENします。
が、私自身は4日頃からゴソゴソと活動開始するつもりです。

今年の目標は・・・、「飛躍」でも「いつもと変わらず」でもなく、なんといいますか、「腰を据えて」「ブラッシュアップ」する年にしたいと思っています。

それでは、今年もよろしくお願い致します。


吉田猫次郎


* 1月12日に、フジテレビのバラエティ番組に出演する予定です。おたのしみに。

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プロフィール

吉田猫次郎

Author:吉田猫次郎
【NEKO-KEN】
中小・零細企業・自営業向け事業再生コンサルタント。
事務所所在地は、東京都三鷹市下連雀3-31-4-206 (2021年4月現在)
経済産業省認定・経営革新等認定支援機関(認定支援機関)。
2003年開業。末期症状の会社の倒産回避(生き残りのための応急処置)から、原因究明、デューデリジェンス、再生スキーム策定、金融機関向け経営改善計画策定支援、資金繰り改善、PL改善(黒字化)、実行支援、事業承継、補助金、最後の出口へのお手伝いに至るまで、事業再生コンサルタントとしては一通りの経験と実績があります。
企業理念は「ヒト・モノ・カネの再生」。


【吉田猫次郎】
本名よしかわひろふみ。(株)NEKO-KEN代表取締役、CTP認定事業再生士、認定支援機関、著述業、ほか。
1968年東京生、乙女座、A型、申年、五黄土星。
著書13冊。講演300回以上。テレビ出演15回くらい。
20代のサラリーマン時代に高額の連帯保証人になり、その後、1998-2000年の脱サラ時に、借金苦・倒産危機で考えられる最悪の事態をほぼ全て体験したことがある(高利、多重、ヤミ金、怖い取立て、手形不渡り、ブラックリスト、強制執行など・・・だが自己破産はせず)。その体験記を、2001年に猫次郎と名乗ってホームページに公開したところ、予想外にヒットしてしまい、2003年に書籍化。以後、事業再生コンサルタントに転身し現在に至る。
最近はスポーツらしいこともするようになり、2012年(44歳)から現在までにトライアスロンに12回出場、全て完走。フルマラソンも2回出場、2回完走。
嫌いな食べ物は、ダイコンと漬物。特に「たくあん」が大の苦手で、あれを食うのは、どの拷問よりも苦痛だと思う。
2020年8月に脳梗塞発症。3週間ほど入院。しかし現在こうして文章を書いているし、手足も自由に動く。

★ 「相談」をご希望の方は、ホームページのほうに申込方法等を記載していますのでご覧下さい。有料と無料があります。お急ぎの方はお電話でもOKです。 → 吉田猫次郎ホームページ

★ 取材、講演、執筆依頼は、直接メールまたはお電話下さい。 ooneko@nekojiro.net TEL(0422)46-9480

 
 
 
 
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