
1.借りたカネは返すべきです。でも、独立して事業を営んでいれば、成功も失敗もあります。失敗すると、多くは借金が返済できなくなります。その現実を受け入れなければなりません。
2.独立したときの成功率は、プロ野球選手の打率より低いかもしれません。つまり、相当鍛えた人でも、7割はアウトで終わるかもしれません。その現実を受け入れなければなりません。
3.事業に失敗して借金が返済できなくなると、必ず、何かしらのペナルティを受けます。当然ですね。それも受け入れなくてはなりません。
4.しかし、そのペナルティ規定の中に、「借金返済できない者は死刑」 などという条文はありません。
こんなことは子供でもわかりますね。だから生きてていいんです。死んじゃいけません。
5.法治国家です。借金を返せなくなった(=契約不履行など)際のペナルティも、法で定められています。期限の利益の喪失による一括請求とか、損害金が加算されるとか、担保権実行とか、財産処分とか、差押とか。 最悪の場合でも、それを受け入れればいいだけのことです。それ以上の罰(違法な取立て、暴力、監禁など)を受ける必要はありません。
6.最悪の事態(ほとんどの場合、それは「強制執行」か「破産手続きによる財産処分」といった民事レベルであり、刑事事件に発展することはないでしょう)に陥っても、やはり法治国家のルールは生きています。
というのは、法律はピラミッド構造をしていて、ピラミッドの頂点には「憲法」がある。 差押について定めているのは民事執行法です。期限の利益や損害金や連帯保証責任などは民法です。いずれも憲法より下にあり、憲法で保障されている「基本的人権」「生存権」「幸福追求権」「職業選択の自由」などは守られます。 (差押されても意外とヘーキです。経験者は語る)
7.そうです。失敗しても、あなたさえその気なら、何度でもやり直せるのです。
8.それはカッコ悪いかもしれません。でも、カッコ悪く生き残るその姿は、私のような者にはカッコ良く見えます。
このように、複雑な問題はできるだけ単純化して、今すぐ解決策が出なくてもいいから、気長に、多少ユルい姿勢で、頑張りましょう。
猫

もうひとつ、昔から全く変わっていない傾向があります。
それは、借金苦で自ら命を絶った方のほとんどが、負債総額で100万~1億円未満だということです。
10年前も今も、これは変わりません。
まれに2億、3億の遺族の方も相談に来られますが、5億円以上になると皆無です。
一番多い層は、だいたい負債総額3000万円~1億未満のあたりです。
これは何を意味するのか?
私は遺族からの相談のほかにも、自殺未遂して奇跡的に生き残った中小零細企業の経営者さんから相談を受けたり、遺書まで書いたものの実行まで踏み切れなかった未遂未満の社長さんからの相談を受けることもしばしばあります。そして、彼らもまた、負債総額は「1億円未満」がほとんどなのです。2-3億級はごくわずか。5億以上は皆無です。
未遂や未遂未満の社長さんにお聞きしてみると、やはり想像どおり、「保険」 というのが出てきます。
つまり、
「自分が死ねば、保険金で借金返済できると思った」 (本当は死にたくない)
という気持ちです。
私も同様の経験がありますので、これについては痛いほどわかります。
生命保険に加入していれば、死ねばウン千万円くらいの保険金が出ることが多いでしょう。
(但し契約3年未満は出ないのが普通)
さらに、住宅ローンにいたっては、「団信(団体信用生命保険)」がありますので、団信で住宅ローンの残債を完済することができます。
これが変な気持ちを起こさせるのです。
ところが一方、借金の総額が5億円、10億円、100億円といったケタ違いな高額になると、生命保険ではまず返しきれません。金額が大きすぎるので、「自ら命を絶って、保険金で借金を返そう」 などと考えても無駄です。
このような高額債務者になると、実にあっけらかんとしています。
「家なんか手放してもいい。また儲けて買えばいい」
「いちど失敗しても、二度目があるさ」
「返したくても返せないんじゃ。これ以上、自分にはどうにもできん。(債権者さん、差押でも何でも好きなようにやってくれ。わしが悪いんじゃから、腹は括っておる)」
と。
私のところには、年に1人くらい、負債総額100億円を超える大物(?)が相談に来られます。
彼らは、必ずと言っていいほど、元気です。
少なくとも、生きるとか死ぬとか、そういう次元で相談に来られる方はいません。
いっぽう、これまた年に1人くらい、500万円にも満たない借金で、「自分には500万円も借金があります。もう死ぬしかないのでしょうか・・・?」 と思い詰めた相談をされる方がいます。表情は暗く、声のトーンにも覇気が感じられません。この世の終りのような悲壮感を抱えて相談に来られます。
考えさせられますね。
私はときどき、100億円の借金よりも、500万円の借金のほうが重いんじゃないかと思うことがあります。
猫

一昔前のように、専用掲示板を開設したり、他所の団体の活動に参加したり、講演したりという場面はめっきり減りました。
自殺防止団体や遺族ケアの団体(NPOや任意団体など)との交流は今でもありますが、良好な関係を継続しながら、少し距離を置いているというのが正直なところです。
というのは、私が強いのは「借金自殺を防ぐこと」だけであって(これだけは人より自信がある)、パワハラ、いじめ、病気などについては全くの素人ですし、また遺族ケアについても、残された借金をどうするかといった技術的なことならいくらでも相談に乗れますが、「遺族の心のケア」的なものは自信がないからです。
さて、最近の活動状況をさしさわりのない範囲で。
全くPR活動をしていないので、その手の相談はさほど多くありません。
でも、今でもコンスタントにだいたい月5-6人の遺族相談を受けています。
相談内容は、「私の亡くなった〇〇の連帯保証人になっていて・・・」 というのが最も多く、次いで「〇〇が亡くなった後、借金があることが判明しました。私は保証人ではないのに、法定相続人として借金を返済しろと、金融機関から催告書が来ました」 といったものが多いです。 あとは、「社長亡き後、私がこの会社を継ぐべきでしょうか?」 といった事業承継的な相談や、「今後、遺された私たちはどうやって生活すればいいのでしょうか?」 といった生活保護的な相談も少なくありません。
いずれも深刻ですが、解決方法は必ずあります。
遺族の方と少し打ち解けてくると、
「生きているうちに相談に来てくれれば、死なずに済んだのに・・・」 という言葉が遺族の方からよく出てきます。
本当にそのとおりだと思います。
(つづく)
猫

但し、相談を受ける私の側には、いろいろ制約があります。
・私一人でやっているので、あまり沢山受けられない。
・これは「仕事」ではないので、仕事外の、空いた時間にしか応対できない。
・私は医者でもカウンセラーでもないので、メンタルケアは専門外。「お金のアドバイス」しかできない。
・助成金などをもらっているわけでもないので、完全手弁当。
ホームページで大々的に書くと相談が増えてしまい、こなしきれなくなるので、最近はあまり告知しなくなり、ひっそりと、この活動をしていました。
ただ、ひっそりといっても、その件数は決して少なくはなく、
毎年毎年、年間15人~25人くらいは、自死遺族の相談を受けてきました。
どんな相談が多いかというと、
・「お父さんが亡くなった」という方がほとんど。次に「夫が」「お兄さんが」など。男性家族を失った人が9割以上。
・相談者は、その奥さん、お子さんなど。
・原因を聞いてみると、「個人の多重債務」で亡くなった方は、10年前は非常に多かったが、最近はほとんどいない。
・最近は多重債務ではなく、中小零細企業の「倒産」や「倒産危機」が一番多い。
・債権者別にいうと、ヤミ金やサラ金に追い込まれたようなケースは今では少数で、ほとんどは、銀行、信金、保証協会、社保、買掛先、従業員給料などの支払いに苦労して、思い詰めてしまったケースが多い。
・生前、お父さんやお兄さんは、誰にも相談しなかった模様。情報収集も苦手だった模様。
・遺族の方が直面している問題としては、「借金の相続」(特に保証協会からの請求対処法)、「相続放棄すべきか否か」、「連帯保証人問題」、「子供の学費をどう捻出するか」、「会社を引き継ぐべきか否か」、「担保に取られている自宅はどうなるのか」といったものが多い。
もちろん、この全てに、私の知る限りの全てをお答えしています。
必要に応じて、専門家を紹介したりもしています。
私は、本来は、「自殺防止」の側の人間です。
借金や倒産危機なんて、切り抜け方はいくらでもある。死ぬ必要なんてない。
そのことを、今までくどいくらいに説いてきました。
結果も沢山出してきました。
「借金苦で自殺まで思い詰めていました。遺書まで書きました。でも、ネットで猫次郎さんのサイトを見つけて、夢中になって隅々まで読んでいくうちに、死ぬ気が失せました! これからも生きてがんばります!」 というようなお便りは、今まで数え切れないほどもらってきました。
私自身も、倒産危機や借金苦で自殺まで思い詰めた経験がありますから、その気持ちはよく理解できるつもりです。「借金自殺防止」のためのアドバイスなら、気持ちの面でも、テクニカルな面でも、自信があります。
いっぽう、私は遺族ではありませんから、「遺族の方のケア」は、あまり得意ではありません。
得意ではないので、あまり積極的にこれを打ち出すのは気が引けます。
お金を取る気にも、もちろん、なれません。
遺族の方のために「ひっそりと、無料相談を受けている」のは、そんな背景があります。
どこまでお役に立てるかわからないのです。
でも、何か駆り立てるものがあり、かれこれ10年以上、微力ながら、遺族向けの無料相談などという活動をさせて頂いている次第です。
最近の遺族相談の事例で、強烈に印象に残っているものを2つあげましょう。
どちらも現在進行形です。
私は、心の底から、彼らを応援したいと思います。
(1)某年某月、「両親が借金苦で自殺しました。」と手紙をくれた、10代の女性。大学に合格していたものの、お金が心配だし、気持ち的にもそれどころではなかったので、入学辞退しようとしていた。兄弟も頼れる親戚もいない。これから独りで生き抜くしかない。
しかし、よく聴いたら、やはり進学したい気持ちも強いようだった。 そこで、入学金の納付期限(3月中旬)を少し延ばしてもらうべく、一緒に大学まで付き添った。大学側はこれを快諾してくれた。いわば、入学金のリスケジュール交渉の同行のようなもの。 彼女はその後、学費免除と奨学金を併用でき、住まいも寮生活とアルバイトで何とかなり、あと数年で就職活動というところまでいっている。ご両親の借金の問題も全て解決した。
(2)つい最近相談を受けた30歳前後の男性。10年以上前に父が自殺し、そのときに進学を断念した。(高校時代は相当成績が良かった模様)
今は東京へ出てきて、アルバイトして一人暮らしをしているが、最近、「やっぱり大学で勉強したい」という気持ちがメラメラ湧いてきて、独学で勉強を始めた。研究職に就きたいので、国立の理系を受験したい。
猫

感じ方は人それぞれ。わずか100万円の借金で不眠症になる人もいます。住宅ローンの2000万円の残債のために自殺まで思い詰める人もいます。
逆に、事業に失敗して10億円の借金が返済不能になってもへこたれずに次の戦略を考えている人や、親から4億円の連帯保証を背負って自宅を競売で失ってしまったのに娘さんの大学進学や家族旅行を怠らないツワモノもいます。(←うちの勉強会の常連さんはこんな人ばっかりです)
本当に、感じ方は人ぞれぞれですね。
そういえば去年、こんな手紙をもらったことがありました。(メールではなく「手紙」です)
≫≫ 「猫次郎様 はじめまして。藁にもすがる思いでこの手紙をお送りしています。猫次郎さんのことは図書館の本で知りました。実は、僕は〇〇県に住む35歳の契約社員なのですが、借金苦で自殺しようと思っていました。というのは、僕には総額150万円もの借金があるからです・・・」
このお手紙に対して、私はこんな返信をしました。
「大丈夫です。まず借入先の社名と、それぞれの残債金額、利息、毎月の返済額、初めて借りた年数、保証人の有無などをおさらいして、1枚の紙にまとめてみてください。わかる範囲で構いません。
その作業が終わったら、次は地元の法テラスや役所系の多重債務無料相談などを受けてみて下さい。
自己破産はきっと勧められないでしょう。利息をゼロにして、分割払いで負担を軽減できる解決方法が2-3通りありますから、たぶんそれを勧められるでしょう。すんなりいけば、これで3ヶ月くらいで問題解決します。
もし、どうしても地元に良い相談先がなければ、また私のところにご連絡下さい。私は中小企業の再生のコンサルタントを業としており、個人の多重債務は業務外ではありますが、毎月第2水曜日に無料の電話相談会を開催しており、この日だけは個人の方も無条件に無料で予約不要でお受けしていますので、ぜひご利用ください。
尚、あなたの150万円の借金というのは、私が今まで相談を受けた中で1.2を争うほど少ないほうです。軽症です。安心して下さい。
私が普段相談を受けているのは、借金が1億円以上あり、連帯保証人や抵当をたくさんつけられて、従業員や家族の生活もかかっていて、想像を絶するほどの重荷を抱えながら四苦八苦している零細企業の社長さんばかりです。中には借金が200億円以上あって資産がほとんどなかったり、超高金利のヤミ金から20件以上も借りている人もいます。それでも傷だらけになりながら生き延びています。
あなたにも生き延びられないわけがありません。ぜひ、前向きに情報収集してみて下さい。情報から得た知識と、ちょっとした知恵と行動力さえあれば、必ず解決できます。必ずと断言します。 吉田猫次郎より」
このように、「解決」とか「安心」「大丈夫です」「必ず」といった表現を散りばめています。
また、「わかる範囲で構いません」といったように、義務感や固定観念にとらわれずにとにかく前進できるよう心がけています。
私がここで言いたいことは、次の2つです。
◎ 債務者の方へ: 「自分を特別視してはいけません。あなたにとってさぞかし深刻に思える問題でも、客観的にみたら軽症の部類に入る、解決しやすい問題かもしれませんよ。」
◎ 専門家の方へ: 「不安をあおるようなアドバイスの仕方をしたほうが商売としては儲かるのかもしれませんが、こと借金や事業再生の分野においては、自殺まで思い詰めている相談者の方も少なくありませんから、相談を受けるときは、商売や合理性云々の観点を一旦置いといて、まずは相談者の方を安心・リラックスさせてあげることに徹してあげてください。」
この2点です。
猫

強化月間の今年度のテーマは「全員参加」。GKBは、「ゲートキーパーベーシック」の頭文字をつなげたもの。自殺対策では、悩んでいる人に気づいて声をかけ、必要な支援につなげる存在を「ゲートキーパー」と呼んでいる。「47」には、47都道府県を初め、国民に取り組みが広がることを示したものだが、人気アイドルグループ「AKB48」にひっかけているのは一目瞭然(以下略)
引用元:Yahooニュース(産経新聞)2012/1/23
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120123-00000540-san-soci
* GKB47宣言!?
これ、誰が考えたんでしょうか?
本気で頭を捻って考えたのでしょうか?
本気で考えたとしたら、どのような効果を狙ったのでしょうか?
そもそもキャッチフレーズとは、人の心を「キャッチ」するフレーズじゃないと意味がありません。
「GKB47宣言!」と呼びかけられて、一体どれだけの人が心を動かされるのでしょうか?
また、キャッチフレーズにはその活動、その団体の「理念」や「品格」が滲み出るものです。
エンタメ系の活動だったらこれでもいいのかもしれませんが、自殺防止ですよ?
こんなキャッチフレーズで多くの人の理解を、共感を得られるのでしょうか?
以上、個人的見解でした。
吉田猫次郎

震災後は借金苦で死にたいという相談がめっきり減りました。明らかに激減したと感じます。
以前、どこかのニュースで「3月の自殺者、2割減~震災の影響か?」という記事を読んだことがあります。4月以降の統計は未だどのニュースでも見かけませんが、もしかしたら、これは私の仮説に過ぎませんが、震災によって生存本能のスイッチが入り、逆境にもめげずに生き残ろうという意識が芽生えた人が(以前と比較して)増えてきたのかもしれませんね・・・?
そういえば、これと無関係でないかもしれませんが、「震災後に結婚したいカップルが急増」といった記事も随分よく見かけます。また、私の知人で「ひきこもり」問題を抱えた親のNPOに属している人がいますが、彼いわく、「ひきこもっていた子が、震災を境に、積極的に外へ出るようになった。そういう話が周囲でかなり増えた」と言っていました。
どうやら、人間は自分の意思だけでない、何か大いなる自然の力によって動かされているのかもしれませんね。
さて本題です。
今でも、借金苦や倒産危機で「死にたい」と漏らす人からの相談は、少なくありません。
減ったとはいえ、決して少なくはないのです。
(そもそもウチの事務所は普通の会社向けのコンサルタントではなく、どこからも見放されたような「倒産寸前」の「末期症状」の「零細企業・自営業」を主な対象としているので、宿命的にその手の相談の比率が高い・・・)
そんな相談を受けたとき、私はどう答えているか?
私は、おもに次のポイントを意識して、話を進めています。
1.まず「大丈夫ですよ」と言い切る。(だって本当に大丈夫なのだから)
2・具体的な解決策を、最低3通りは明示する。(1つでは選択の余地がないのでダメ)
3.あなたにはまだまだ選択肢が残されているのだ、と諭す。
4.自分を特別視しちゃいけない、あなたよりヒドい症状の人はいっぱいいると、実例をいくつか話す。
5.ついでに私自身の不幸話もいろいろ引き合いに出す。
6.どの方法を選ぶかは、ご自身に判断させる。「ドラマの主役はあなただ!」
7.同じ話が何度も何度も堂々巡りになることもよくあるが(多いときは同じ人から1週間に10回以上も同じ相談が来ることがある)、徐々に突き放しながらも、とにかく話を聴く。まあ、ここまで食いついてもらえれば、ほぼ大丈夫。
8.勉強会などにもお誘いし、同じ境遇の人たちと実際に会ってもらう。ここまでいけば、かなり明るくなる。自分の問題がちっぽけに感じるようになる。
9.最後は突き放す。一人で泳いでもらう。(だけど溺れそうになったときにはいつでも私につかまってくださいねと念を押しておく)
続けます。
相談を継続的に受けていると、どうしても「心の波」が出てきます。
私は医者ではないので医学的な「躁」と「鬱」についてはわかりませんが、実に多くの社長さんが、あるときは「そう状態」、またあるときは激しい「うつ状態」のようになります。一喜一憂。
常に平常心を保てる社長さんなんて、いません。
社長さんが弱りきっているとき、やはり時々、「死にたい」という言葉が出てきます。
あるいは、言葉こそ出さないものの、突然行方をくらましたり、自暴自棄になることもよくあります。
そういうとき、私はつとめて「ユル~い」態度で接します。
ラフな格好で、条件が許せば一緒に酒などを飲み、
教科書どおりの具体策を示しつつも、最悪に備えて、
「大丈夫ですよ、最悪、そんなのうっちゃっといても何とかなるって!」
と、少々乱暴な意見も飛ばします。
(実際、何とかなるのですから)
そして、こういいます。
「こういう問題は、いっぺんには片付きません。長い取り組みになるでしょう。
ですから、くれぐれも潔癖になってはいけません。
問題を完全排除しようとしてはいけません。
借金なんてあったっていいじゃないですか。
借金ゼロの会社のほうが気持ち悪いですよ。
さしあたって、5年以内に債務超過が解消できるくらいの目標が立てられれば上出来です。
債務超過解消ってわかりますよね?借金をなくすことじゃないですよ。
資産/負債のバランスがトントンになれば、まあ上出来ってことですよ。
とにかく、長期戦です。
登山や旅のように、焦らず、苦難を嫌がらず(楽しんで)、ゆっくり進みましょう。
ひとつひとつの小さなハードルを越えることに達成感を感じましょう。
月末の支払いが遅れずにできたぜヤッターとか、酒を飲まなくてもぐっすり眠れるようになったぜヤッターとか、あなたなりの、ささやかな達成感で構いません。
ささやかな達成感を連続的に味わえるようになると、生きるのが楽しくなってきますよ。
私もそうやって生きてきました。」
と。
そしてまた突き放します。
ひとりで泳いでもらいます。
溺れそうになったときだけ、また相談に来てもらいます。
この繰り返しをしているうちに、「死にたい」などと考えなくなり、それどころか苦労を楽しめるようになってきます。
決して屈強な精神力が身につくのではありません。
2011/5/19の記事で書いたとおり、ほどよい「ユルさ」「大らかさ」が身につき、変化に適応できるようになってくるのです。
猫

猫次郎、満10歳。
非常に感慨深いものがあります。
いつもより文章が上手く書けません。
泣きそうになりながら、これを書いています。
【その1.本に書いてない裏話~息子のこと】
この話題には滅多に触れることがありませんが、今回は特別に書きます。
私には息子が1人います。2000年9月17日に生まれました。
3歳までは仲睦まじく一緒に暮らしていましたが、2003年11月に別居してからなかなか会えなくなり、2006年4月に正式離婚。その後も時々会っていましたが、元妻が再婚して新しい家庭ができてからは全く会っていません。最後に息子と会ったのは2007年8月30日でした。つらいことなので、日時や当時着ていた服まではっきり憶えています。今でも毎日毎晩のように息子のことを思い出します。夜は酒が欠かせません。(会うなとは言われていませんが、複雑な思いがあり、なかなか会いたいと申し出ることができずに現在に至っています。)
私は1999年~2000年の間に、借金苦や倒産危機でおおよそ考えられる最悪の出来事を、ほぼ全て味わいました。生き残るために本当に必死でした。子供ができたのはまさにその最中のことでした。種族保存の本能でしょうか、それとも神の啓示か何かでしょうか、あのときの心境は、うまく言葉で説明することができません。
最近になってようやくカミングアウトできるようになりましたが、私は2000年1月6日に、保険金目当てで自動車事故にみせかけて自殺しようとしたことがあります。ド素人だった私は、借金返済のためにはこの方法しかないと思っていたのです。さいわい自殺は未遂、いや、未遂にすらならず、カスリ傷ひとつ負わずに帰宅することができましたが、翌日以降はまた厳しい現実に引き戻されました。ヤミ金の返済、月末の商工ローン返済、支払いの山など。妊娠が判明したのは、その直後のことでした。
普通なら、そんなひどく逼迫した時期に子供を作るなんて言語道断、堕ろせと言われそうです。とても喜べそうにありません。実際、私も元妻から妊娠の事実を告げられたときは、複雑な表情を浮かべ、とても喜んでいるようには見えなかったそうです。でも私は嬉しかった。ただ、「喜び100% + 厳しい現実ウン% = 容量オーバー」といった感じで、とても手放しで喜べるような状態ではありませんでしたから、それが表情に出ていたのでしょう。
とにかく嬉しかった。大袈裟かもしれませんが、死にそうな自分を、新しい命がつなぎ止めてくれたような感じでした。
なにしろ年商の3倍以上もの借金、そのほぼ全てが高金利、ヤミ金まで手を出しているのです。誰がどう見ても自己破産するしかない状態なのです。しかも無知だった私は、自己破産イコール悲惨・一家離散・社会復帰不可能だと思い込んでいましたから、こりゃやっぱり自殺して保険金で返すしかないのではないかと、何度も何度も同じ思考をグルグルしていたような時期でした。人知れず。
お腹の中の子供は、そんな私を生き返らせてくれたのです。
「カッコ悪く悲惨な思いをするくらいだったら、保険金で借金を返して死のう」
という気持ちが日増しに強くなっていた自分が、子供ができたことを境に、
「いや、カッコ悪くても生き残ろう!生まれくる子供のために!」
と大きく変化していったのです。
そういう意味で、息子は私の命の恩人です。大恩人です。
その後、私は強くなりました。2000年2月から夏にかけて自力で債務整理し(自己破産はしなかった。弁護士に依頼する金もなかったので特定調停や本人訴訟などを駆使しつつ自力再建を目指した)、夏までにはあれほど手強かった高金利の借入先をほぼ全てゼロ金利か低金利に引き直し和解し、元金も半分以下に減り、本業(家業の貿易会社)も少しずつ活気づきはじめて、ようやく再建の目処がたってきました。
少しずつ、厳しい現実と共存しながら、傷を負いながら、かっこ悪く・・・。
そして9月17日の台風の日の夜、都内の病院で、難産の末、息子が誕生したのです。無事に。
これがどれだけ嬉しかったことか。
(私が当ブログで、毎年9月17日になると意味深なことを書いているのは、実は、会えない息子のことを想いながらのことなのです・・・)
生後3ヶ月経った、2000年のクリスマスから年末にかけてのこと。
いつになく静かな休日を過ごすことができたある日、ようやく首がすわり始めた息子の寝顔を見ながら、ふと思いました。
「思えばこの1年、すごい経験をしたなあ~。まだ問題は山積みだけど、俺が今こうして生きているのも、この子の(そして妻の)おかげだ。これを何かに書き残したいものだ・・・」と。
これが猫次郎のはじまりです。私が32歳のときのことです。
【その2.猫次郎誕生秘話 ~ 本より引用】
![]() | 借金なんかで死ぬな! (2009/06/19) 吉田 猫次郎 朝日新聞出版 商品詳細を見る |
この本の36~37ページから、一部引用します。(修正前の原稿からコピペ)
≪ 話は2000年に戻りますが、このようなことがきっかけで、私は、自分の弱さを再認識すると同時に、「借金」についてより深く考えるようになっていきました。「借金は悪なのか?排除すべきなのか?」「いや、排除したら事業が存続できないではないか?どんな会社だって借金はあるぞ」「債務整理をして一度信用を失ったら、やはり再起できないのか?」「そんなはずはない。あってはならない。何か良い知恵を振り絞って、逆境と戦いながら事業を発展させるのが俺の使命だ!」「生まれた子供のためにも、逆境と戦い抜けるたくましい男になりたい!」「世の中にはきっと同じような境遇の人がいるはずだ。彼らはどうやって苦境を乗り切っているんだろうか!?」……などと、一人で自問自答する日々が続きました。そんなことを考えているうちに、2000年が暮れていきました。
実にいろいろなことがあった1年間でした。
年が明けて、2001年の正月休みのこと。
私はふと、自分のこれまでの借金地獄の体験を、体験記としてホームページに書き綴ってみたい衝動に駆られました。理由はふたつです。ひとつは、自分と同じような境遇の人がいたら、何かの参考にしてもらいたいという、いわば「何かを与えたい」という気持ち。もうひとつは、同じような経験をしたことのある人がどのくらいいて、どのようにして厳しい現実を生き抜いてきたのか、情報を交換したいという、いわば「何かを得たい」という気持ち。このふたつの動機に駆られ、私は正月休みから毎晩、1週間ほどかけて、自分の体験記といくつかのコラムを書き綴った「借金地獄・倒産危機から、自力で脱出する方法」というホームページを開設しました。さすがに本名を名乗るのは恥ずかしいので、適当に「猫次郎」などと名乗りました。
これが吉田猫次郎の始まりです。 ≫
【その3. あれから10年】
ホームページを開設した当初は、この活動を仕事にしようという気持ちはありませんでした。
本業が別にあったので、そちらに専念しながら、片手間に、ひっそりと運営できればそれで十分と思っていました。
ホームページを作成すること自体が初体験で(正月休みにパソコンショップで7980円のソフトを買って説明書を読みながら作成した)デザインも何も素人そのもので、そりゃもうひどい出来栄えでした。文章の量を除いては。
ところが、いざ開設してみると、アクセス数が急速に伸び、感想メールや相談めいたメールも毎日数十通来るようになり、その反響の大きさに驚きました。(当時はそういうwebサイトが少なかったのです)
手間を省くために「まぐまぐ」に登録し、メールマガジンで毎週体験記を更新し、そのメルマガ記事をホームページにコピペするという手順でホームページの分量を増やしていったのですが、それも今にして思えばアクセス数アップの原因だったかもしれません。(今でいうSEO対策のようなことを無意識のうちにやっていたんですね・・・)
そして、月日が経つにつれ、ホームページを通じて、半ば自然発生的に、情報交換できる仲間が増えていきました。彼らのおかげで、実体験ベースしかないド素人だった私の知識やノウハウは少しずつ肉付けされていき、当初のひそかな目的だった「何かを得たい気持ち」と「何かを与えたい気持ち」は、あっという間に達成されていきました。
2001年夏には某大手出版社から「このホームページは面白い。ぜひ本にしませんか?」という打診のメールが来ました。内心嬉しくて飛び上がりそうでしたが、このときは丁重にお断りしました。恥ずかしいのでひっそりやっていきたかったし(妻には内緒でした)、本を出すほど立派なものを書ける自信もなかったし、本業の土台がまだまだ不安定だったのでそちらに力を入れるのが先決だと思い・・・。
同年秋、最初の離婚危機が訪れました。子育てに大変で経済的にも苦労をかけている妻にこれ以上余計な心配をかけまいと思ってやったことがいろいろ裏目に出て、夫婦間の信頼関係が一気に崩れていったのです。それ以来、私も妻に話しかけることに異常に神経を使うようになり、会話がますますぎくしゃくしていき、会話が減り、修復が難しくなっていきました。私は妻を愛していましたが、意識すればするほど固まってしまい身動きがとれませんでした。(私も病んでいたのかもしれません)2002-3年頃には夫婦間の会話は皆無に近くなっていきました。
2003年春、本業の片手間のはずだった猫次郎のホームページが(図らずも、自然発生的に)ますます賑やかになり、内容も増え、出版社からも2-3社打診が続き、徐々に自信がでてきた私は、同年4月、満を持して、初めての本を出版しました(『借金にケリをつける法』サンマーク出版)。この本は好評で、翌々年には文庫化するに至りました。
しかし、この頃にはもはや夫婦関係は修復困難になっていました。本を出版しても喜んでもらえず(私のほうも自信をもって報告することができず)、夏が過ぎ、秋がきて、別居の話を切り出され、2003年11月8日、妻は3歳の息子を連れて新居に引っ越していきました。
息子はその前日まで、私の仕事場にしょっちゅう連れてきたり、父の私とベッタリ過ごしていました。
このときの喪失感は、とても言葉で言い表すことができません。
本を出す少し前から、「別れ」の予感はありました。何とか妻と修復したかったけど、意識がフリーズしてしまってどうすることもできませんでした。
その頃から、私は「猫次郎」としての活動を、息子の成長と重ね合わせていくようになりました。
「猫次郎」が満5年になったら息子は5歳。「猫次郎」が満10年になったら息子は10歳です。息子のつもりで「猫次郎」を育てよう。成長記録を残そう。そして遠い将来、息子が大きくなったときに、自分の実のお父さんがこんな活動をしていることを少しでも誇りに思ってくれたら、こんな嬉しいことはない、と。
猫次郎は私であり、息子でもあり、別の新しい何かでもある・・・。
私はよく、猫次郎としての現在の活動を、「求めがあるからやっている。求めがある限りは続ける。でも、求めがなくなったらすぐ辞める」と言っています。この言葉に嘘偽りはありません。求めがないのにそこにあぐらをかいてしがみつきたくはありません。
でも、もっと本心を言えば、「今ではすっかり仕事となってしまったこの活動。息子の分身のようでもある。大きく育ったものだ。願わくば、これからも時代の変化に応じて自分自身も変化・成長していきながら、求められ続ける存在でありたい。そして長く継続していきたい・・・」と思っています。(商業的にはずっと貧乏なままですが、おかげさまで知名度やノウハウ、人脈、再生実績等といった「お金に代えられない財産」は随分と積み上げることができたなあ、と我ながら感じています。)
そんな意味で、「猫次郎」を10年続けることができたというのは、ひときわ感慨深いものがあります。
【その4. 猫次郎という名前の由来】
これも初公開の話です。
私は本やホームページで、「何も考えず、適当に猫次郎と名づけました。深い意味はありません。3秒でネーミングしました・・・」などと述べていますが、これは半分ホント、半分ウソです。
前述のとおり、私は2001年1月10日に万感の思いで猫次郎のホームページを開設しました。
仕事にする気はなかったけれども、何かを得たい、何かを与えたい、これ以上ないほどの逆境をはねのけたい、と。
そのとき、ふと思い出したのが、漫画「キャプテン翼」に出てくるエースストライカー、日向小次郎でした。
日向小次郎は主人公(大空翼)の少年時代からのライバルで、小学生の時に父親を亡くし、小学校高学年の頃から新聞配達をして家計を助け、そうしながらサッカーで日本一、いや世界一のエースストライカーを目指すキャラクターで、その性格から「猛虎」と呼ばれています。逆境を乗り越え、道なき道を切り開いてきたパイオニアのひとりという設定です。
私はそれにちなんで(私も高校~大学のときに足掛け3年半ほど新聞配達をしていました)、「猛虎」、いや、でも俺は「虎」という感じではないから「猛猫」かな? だとしたら「小次郎」じゃなくて「猫次郎」だな、アハハ・・・と、半ば冗談、半ば本気でネーミングしたのが始まりだったのです。
いっぽう、吉田という姓は、これより少し後につけたものです。猫次郎という名前だけではちょっと淋しくなってきたので、何か苗字をつけよう、でも本名(吉川博文)からは恥ずかしいから取りたくない、吉という字だけ残して、違う苗字にしよう、と・・・。
以上、短く書くつもりでしたが、やはり長文になってしまいました。
ごくごく個人的な話です。いろいろウェットな要素も含んでいますから、盛大に祝うような気にはなれません。
でも、軽く一人で祝いたい気分です。
今日2011年1月10日は、私にとって、とても神聖な日です。
吉田猫次郎
(追記) これまたちょっと恥ずかしい告知ですが・・、今週1月12日(水)の夜にテレビ出演します。
フジテレビ系、さんまさん司会の 「ホンマでっか!?TV」 というバラエティ番組。
テレビ出演は過去にも「報道ステーション」や「ガイアの夜明け」など10回以上ありましたが、バラエティ番組にスタジオ出演するのは、これが初めてです。恥ずかしい役回りなので私はたぶん見ませんが、お暇な方はよろしかったらご笑覧下さいませ。

匿名で、いくら返信してもエラーで返ってきてしまいます。
この文章を原文掲載しても本人特定は不可能で、個人情報保護に触れるとは思えませんので、
原文のまま掲載します。
ご本人さん!これを読んでいたら、何としても思いとどまって下さい!
----- Original Message -----
Sent: Thursday, December 16, 2010 10:25 AM
> 猫二郎様
>
> ブログを拝見しました。
> 私の場合、悪質で前の会社社長に信頼されていたにもかかわらず会社のお金を横領し自ら会社を辞めました。罪の重さに耐えきれません。今週中にも世をさる覚悟です。これからもいろんな方を勇気付けて下さい。
>
これに対して、私はこう返信しました。
携帯なので短文で。
(しかし、何度送ってもエラーで返ってきてしまいました)
↓
----- Original Message -----
Sent: Thursday, December 16, 2010 11:42 AM
Subject: Re:
>
> 横領ですか。
> そういう方からのご相談も、結構多いですよ。
(専門外なのに)
> 誤解を恐れずにいえば、よくある話です。
> あまり特別なことのようには感じません。
>
> 私は裁判官でも評論家でもないので、あなたの横領が本当に悪いことなのか、
> それとも何かやむをえない複雑な事情があってそうしてしまったのかわかりません。
> よって、良いとも悪いとも言えません。そんなもんです。
>
> そんな、良いとも悪いともわからないもののために、自ら命を落とすことはやめてください。
>
> 日本は法治国家です。法の裁きは受けても、それ以上の裁きは受ける必要はありません。
>
> また、横領罪はぜいぜい執行猶予か、前科のある人でも懲役2-3年か、その程度だったと思います。
> 死刑になることはありません。
>
> なのに、あなたは、法の裁きより重い罰を自らに与えるのですか?
> 考え直して下さい。
>
猫

>「こころの耳」という厚労省の自殺対策を含むメンタルヘルス・ポータルサイトに
> おすすめ本というのが、専門書を含めたくさん載っています。
>
> 中でも3冊の著者名として名を連ねているのは、猫さまだけのようです。
> 地道な活動が、お役所の目にとまった?
>
> なんか誇らしいです。
>
> 『しゃっケリ』、『死ぬな』と、共著の『働け』です。
>
> http://kokoro.mhlw.go.jp/hatarakukata/book/index.html
これはちょっと嬉しいです。
猫