吉田猫次郎とNEKO-KEN相談員のブログ

中小企業再生や敗者復活に関する投稿が主ですが、ホームページとブログを区別し、ここでは幾分ユルめの内容になっています。

 

お父さんが倒産危機。貯金なし。教育ローンも組めない。だけど進学できた!


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久しぶりに「ビンボーでも学校へ行こう」 のカテゴリーです。

昨日、「倒産を防ぐ・年末を乗り切る」 という勉強会を開催したのですが、そこに参加されていた常連さんの自己紹介を、備忘録的に書きます。


① 埼玉県のAさん。2004年前からの相談者。2005年に中古車屋を閉店。だが自己破産せず。借金は住宅ローン、保証協会(代位弁済)、カードローンなど、総額1億円近く。住宅ローンはリスケしつつ返済。保証協会は直接交渉で月ウン千円ずつ返済。カードローン系は特定調停で減免しつつ遅れ遅れで罵倒されながらもゆっくり返済。いまだ借金は残っている。会社は休眠状態。この状態のまま、生活費を得るために、契約社員に転職。休眠している中古車販売会社はいつか復活させようと思っている。
 初めて相談に来られた2004年当時、お子さんは小学生と中学生だったが、Aさんはこの窮状を奥さんにもお子さんにも伝えていた。
 だが、教育は惜しまなかった。息子さん娘さんも、お父さんが大変な分、自立心が芽生えたのか、成績優秀だった。高校は県内で有数の進学校へ進んだ。学費については、お父さんがブラックで教育ローンが通らなかったが、奨学金や社会福祉協議会や学費免除制度などまだまだ道があるので、使えるものは全部使った。
 その甲斐あって、息子さんは国立の難関大学に進学することができた。現在は卒業して社会人1年生だ。 娘さんは早稲田大学に進学して現在2年生だ。


② 同じく埼玉県のSさん。2003年からの相談者。小売業。2004年頃から急速に業績悪化して借入金が返済困難になり、保証協会へ代位弁済。当時、税金、も滞納しており、差押を受けたことも数回あった。2-3店舗営んでいたが、全店舗を閉鎖。以後はネット通販のみで収入を得ている。自宅は売却。子供は3人。
 こんな厳しい状況だが、やはり、その窮状を家族で共有し、子供は自立心が強くなっていった。お父さんがブラックなので教育ローンはあてにできず、貯金もないので、教育費は奨学金と社会福祉協議会と学費免除制度などを駆使した。 
 現在、3人のお子さんは非常に優秀で、上の子は大学生。真ん中の子は高校生。そして下の子は超難関の国立中学に通っている。


NEKO-KENに相談に来られる方の多くは倒産寸前の零細企業の社長さんですが、上記のような事例がいくらでもあります。
「ビンボーだから進学できない」 と短絡的に考えるのはやめましょう。
意志あるところに道は開ける。





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無利子奨学金を全希望者に 文科省検討 大学授業料減免も拡大


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少し古いニュースですが、今年の8月27日~31日にかけて、掲題のように「無利子奨学金を全希望者に」 という報道がありました。

参考URL
http://www.sankei.com/life/news/160827/lif1608270034-n1.html

これについて、「奨学金という名の借金だ!」という否定的なコメントもSNS等で散見されました。

しかし私は、こう思います。

「奨学金という名の借金だ!」 という意見には、同意できます。確かにそのとおりです。返済不要の奨学金もありますが、依然として、返済義務のある奨学金が幅を利かせているのも確かです。後者は奨学金という名の借金に違いありません。

しかし、「奨学金という名の借金だ!(だからけしからん!)」 という論調であれば、それは真っ向から否定したい。

借金は悪いことではありません。
確かに大いなる試練ではありますが、「消費のための借金」とは、まるっきり意味合いが違うと思います。
借金してでも進学したいというのは、ひとつの立派な選択肢でしょうし、「投資」でもあります。

ご本人に「進学したい!」という強い意志があれば、という前提ですが、私は、借金して進学することに肯定的です。
親のスネをかじって進学するよりも、きっと得るものが多いはず。





※ おすすめの本。 『お父さんが教える、13歳からの金融入門』 
  これはいい本です。

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学費のリスケジュール!


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たまに更新する「ビンボーでも学校へ行こう」シリーズです。


毎年この時期は、お子さんの受験・進学に関する相談を多く受けます。

そんな中で、先日の勉強会の参加者の方の中に、興味深い経験をされた方がいらっしゃいました。

奨学金や教育ローンなら誰でも思いつきそうですが、
その方は、なんと、

「授業料のリスケジュール(支払条件変更)を交渉して、娘を卒業させた」

というのです。

お父様は、当時、取引先とのトラブルに巻き込まれて、経営していた会社を倒産(自己破産)せざるを得なくなりました。

会社の自己破産だけでなく、会社の借入金の個人保証をしていたので、個人の自己破産手続きもしました。

自己破産すると、借金は免除されますが、同時に、資産もほぼ全て失います。

お父様は、家を失いました。

仕事もゼロから探しました。

そんな中で、娘さんは私立の大学に入学していました。

何も知らなければ、「家計が大変なことになっているから、大学を中退しなきゃ・・・」と考えそうです。

しかし、親としては、娘を中退させたくなかった。

そこで、必死になって情報収集したり、学校側に直談判したり、あらゆる方法を検討し、その結論として、「授業料の納付方法を、分割払いなどに条件変更」(=いわばリスケジュール)させてもらうということになったのです。

物事を額面どおりに受け止めやすい我々は、「学費の納付期限が○月X日と明記されていたら、もう交渉の余地がない・・・もうダメだ」と決めつけてしまいがちです。
が、この方は、そこを自らの力で切り開いたわけです。

非常に良い手だと思います。

誰でも無条件にうまくいく方法ではありませんが(交渉力、不屈の精神などが求められる)、うまくけば、教育ローンや貸与型の奨学金などで「借りる」よりもよっぽど良いですね。

学校側としても、学生さん1人につきいくらという助成金を国からもらっていることが多いし、多少の延滞があっても学費収入は学費収入、利益になることは間違いないので、できることなら中退などさせたくないのが本音です。

万策尽きてもダメな場合は、あきらめずに、学校に相談してみましょう。




【今までのおさらい】

ビンボーでも学校へ行く方法はいろいろありますが、


(1)銀行の教育ローンなど、「ローン」と名のつくものは、いわば借金ですし、信用情報機関(全銀協、CICなど)を照会されますので、親に信用のないと、まず審査に通りません。
お父さんの会社が倒産状態の場合は、選択肢のうちに入らないでしょうね。

(2)奨学金の場合は、親が倒産や自己破産していても貸してくれる場合が多々あります。(貸し手側の基本姿勢が「ローン」とは根本的に違うし、基本的には学生さん本人が卒業後に返すことになるので・・・)
 また、大きく分けて、返済義務のある「貸与型」と、返済義務のない「給付型」の奨学金があります。できれば「給付型」を第一に狙いたいところですが、ダメなら「貸与型」でも審査は通りやすいので、借金はイヤでしょうが、将来の負担増を承知のうえで、申し込んでも良いと思います。
 奨学金は種類が多く、探せば探すほどいろいろ出てきます。(学校独自の奨学金、日本学生支援機構の奨学金、民間企業の奨学金、新聞奨学生などなど) 中には「貸与型」だけど、その後の進路や成績など次第で返済不要にしてくれるものもあります。

(3)国公立大学の場合は、学費免除の制度も、私立以上に豊富にあります。(一部、あるいは全額免除など)

(4)また、免除だけでなく、学校側から年間ウン十万円という金を「給付」してくれる制度もあったりします。
 (去年お会いした某国立大学の4年生の方は、貧乏な母子家庭に育ち、学業が忙しいのであまりバイトもできない身でしたが、授業料全額免除、家賃5000円の寮生活、年間60万円の給付があり、親の仕送りがなくても、しっかり卒業できました。)

(5)誰にでもおすすめできるものではありませんが、「新聞奨学生」という手もあります。これは本当にキツくて、朝刊は朝3時~6時半頃、夕刊は午後3時~6時頃、集金や拡張業務も随時あり、拘束時間が多くて午後の授業にも参加できない場合が出てくると思いますが、そのかわり学費は全額面倒見てくれますし、住居や食事もつきます。労働時間が長くてつらいのも、考えようによっては、「体育会に入部して、授業そっちのけで朝から晩まで練習でこってり絞られた」ようなものと思えばやりがいがあるかもしれませんし、就職活動においても、体育会と同等かそれ以上の評価をしてくれる大企業が数多くあります。

(6)社会福祉協議会の教育資金系の貸付も、幅広く利用できます。ほかにも、お住まいの区や市で、教育資金の補助や貸付を行っているところもあります。

(7)そして第7の選択として、今回紹介した「授業料のリスケジュール」があります。
 これはほとんど知られていないでしょう。
 上記で紹介した方のほかにも、私は、「入学金の納付期限を過ぎてから分納させてもらった」というツワモノも知っています。
 また、私自身も、アルバイトで学費を稼いでいた大学3年のとき、前期の授業料を期限内に払えなくなり、除籍の通知をもらったことがありますが、メゲずに学生課に相談したら、除籍を撤回してくれて、授業料を遅れて払うことにも同意してくれました。おかげで首の皮一枚で卒業することができました・・・。


Where there's a will, there's a way.
意志あるところに道は開ける。



ビンボーでも学校へ行こう ~ 社会福祉協議会


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久しぶりの「ビンボーでも学校へ行こう」シリーズです。

毎年11月は、大学の推薦入学が決まった親御さんから、「息子(娘)の学費が・・・」という相談が相次ぎます。

私はこれに対して、いつも「大丈夫ですよ」と、お決まりの回答をさせていただいているのですが (詳細は過去「ビンボーでも学校へ行こう」の過去ログを読んでもらえればわかると思います。「ローン」と名のつくものが通らなくても大丈夫。数多くある「奨学金」制度をくまなく探したり、「社会福祉協議会」の教育資金系の貸付を利用したり、大学独自の「学費免除」制度が利用できるなら利用したり、最後に何をやってもダメなら新聞奨学生、さらには裏ワザとして学費や入学金のリスケジュールという手もあります) 、この中で、裏ワザは一般的でないので説明省略するとして、もっと一般的な、「社会福祉協議会」というのがよくわからないという方がいます。

社会福祉協議会の教育資金系の貸付について知りたい方は、ここを読むとわかりやすいと思います。
リンクを貼ります。
http://www.shakyo.or.jp/seido/seikatu.html


「借りる」ということに嫌悪感を感じて、「借りるくらいなら進学しない!」という人もいます。
それはそれで、ひとつの価値観なので、反対はしません。

でも、「借りてでも進学したい!」という道があってもいいと思います。
それを否定してはいけません。

借りたり、返したり、返すのが難しくなって苦労したりするのも、「勉強」という意味では、これ以上ない社会勉強です。将来、独立開業したり、出世して関連会社の立ち上げに関与したりすれば、イヤでも資金繰りと向き合わなければなりません。そんなときに、学費を借りたり苦労して返したりした経験が、とっても役に立つと思います。





厳しい家庭環境での大学進学


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久しぶりの「ビンボーでも学校へ行こう」カテゴリーでの投稿です。


【1】 今日は朝からちょっと嬉しいお知らせがありました。
 6年前に何回か相談に乗ったことのあった○さん(その後法律家の先生に依頼して個人再生手続きで債務整理した)が、最近やっと完済しました。
 その間に、小学生だった娘さんは高校3年生になりました。娘さんは成績優秀で、今年の11月に某難関大学に推薦で合格しました。
 しかし入学金(約30万)が自己資金で用意できません。そこで先月、久しぶりに私のところに相談に来られたのですが、私は「そろそろブラックが消えている頃だと思うし、またブラックが消えていなくても、公庫の教育ローンは条件次第で出る可能性があるし、最悪出なければ奨学金や社会福祉協議会等でも何とかなると思いますよ・・・」といったアドバイスをしました。
 その結果が、数日前に出たそうです。
 結果は、「公庫の教育ローンがOKだった!」そうです。
 これで入学金はもちろん、授業料の心配もなくなりました。
 よかったよかった。

【2】 先週末は、東北の某国立大学の3年生の女子学生さんが就職活動の合間にウチの事務所に来てくれました。彼女は母子家庭に育ち(お父さんは幼少の頃に会社を倒産させて離婚、その後会っていないとか・・・)、親の金銭的援助を一切受けないで大学に入り、授業料は免除(国立は免除が比較的受けやすい)、そればかりでなく、大学から年間60万円の支給もあり、また住まいも寮暮らしで家賃がほとんどかかっていないため、アルバイトに明け暮れるようなこともなく、真面目に勉強しながら大学生活を送っている様子でした。
 私のことは、講師の先生から聞かされて興味をもってくれたそうです。webページをみて、幼い頃にお父さんが倒産したときの話などを思い出しながら、メールやツイッターでコンタクトしてくれて、事務所に遊びに来てくれました。こういうのは嬉しいですね。
 東北人気質というのでしょうか。真面目で辛抱強く、だけどそれを自然体でやっているような印象を受けました。けっして悲壮感漂う感じではなく、身も心も健康で、明るく楽しく充実した学生生活を送っているように見受けられました。実に素晴らしい。

【3】 1年ほど前の話ですが、勉強会の常連である印刷会社社長のHさん(51歳?)が、社会人入試を受けて某国立大学の夜間経営学部に合格しました。入試は小論文と面接。面接のときに、Hさんはなんと、「吉田猫次郎さんの影響を受けました!」と話したそうです。面接官の方は「猫次郎?誰ですか??」といった様子だったそうですが、気になって調べてくれたようです。結果が心配でしたが、なんと合格。
 現在、Hさんは52歳(?)の大学1年生です。昼間は印刷会社の経営再建に奮闘し、夜は大学に通っています。奥さんとお子さんが2人います。見た目は普通のオジサンですが、その生き様はカッコイイと思います。

【4】 去年9月に司法試験に合格したMさん。彼も家が貧乏で、私立大学の学費もロースクールの学費も、ほぼ全て奨学金でまかないました。そのうえ一人暮らしだったので、生活費を稼ぐために塾教師などのアルバイトもしていました。
 奨学金は返済義務のあるタイプが多くを占めているため、現時点で彼は、約700万円の借金があります。
 まもなく彼は、司法修習生(研修期間)を終えて、弁護士になるでしょう。そうなれば、700万の借金なんて、自力で完済できるでしょう。


Where there's a will, There's a way.

意志あるところに道は開ける。


(何よりもまず、意志を持つことが大事ですね。)



「ビンボーでも学校へ行こう!」


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超久しぶりの「ビンボーでも学校へ行こう」シリーズです。
(過去にもこれについていろいろ書いていますので、ご興味ある方はこのブログの「カテゴリー」の中から「ビンボーでも学校へ行こう」というカテゴリーをクリックしてみて下さい。)

私の仕事は中小零細企業の再生コンサルタントなので、資金繰りに困った社長さんからの相談が日常業務なわけですが、毎年この時期になると、本題のついでに、お子さんの進学費用についての相談もよく受けます。

私はこれに対して、必ず「大丈夫です。何とかなりますよ」とお答えしています。

その根拠は・・・、もう何度も書いていますので、過去の記事を読んでみて下さい。

とにかく、親がどんなに金欠でも、ブラックでも、破産者でも、子供は進学できます。
行きたいところへ行かせてあげて下さい。

専門学校に行きたければ行けばいい。
東京の私立大学に行きたければ行けばいい。
海外に留学したければ行けばいい。
意志あるところに道は開ける。

学費を調達する方法は多岐にわたります。教育ローンがダメなら社会福祉協議会がある。社会福祉協議会がダメなら奨学金がある。奨学金が1つで足りないなら2つ3つ申請するという手もある。奨学金を運営している団体は数え切れないほどある。最後の奥の手としては新聞奨学生というのもある(私も新聞配達してました)。

また、調達とは全く違う角度での切り抜け方もあります。学校に直接相談して、授業料を少し待ってもらったりする方法です。(私も大学3年のときに授業料納付が遅れて一旦除籍になり、慌てて分納で払って元のサヤに戻ったことがあります。危うく中退になるところでした。今思えば、これが人生初のリスケジュール交渉でした。しかも銀行にたとえれば「期限の利益喪失」後のリスケジュールのようなものであり、なかなか難易度の高いことを学生のうちに体験したことになります。こんなことも現在のベースになっているんでしょうね)


いくつか例をあげましょう。


[その1]
 私の同級生で、慶應の医学部に進学した男がいます。彼は母子家庭の借家暮らしでした。本当は東大の医学部に行きたかったのですが落ちてしまい、仕方なく慶應の医学部に進んだという天才でした。
 慶應医学部は6年間で計2000万円近い学費がかかるそうです。(それでも私大医学部の中では一番安いほうだとか・・・) 彼はその学費を全て、奨学金でまかないました。奨学金は1口だけでなく、何口か使ったようです。中には授業料免除の奨学金もありましたが、卒業後に返済するタイプの奨学金のほうが多く、彼は卒業して医者になった時点で1000万円以上の借金を抱えていたことになります。
 でも、医者になればそのくらいの借金はどうってことありません。むしろ、借金は自分を奮い立たせるためのバネになりました。


[その2]
 私が新聞配達をしていた19歳のとき、同じ配達所に日大の学生がいました。彼は親と喧嘩して援助を断ち切られて一人暮らしをしているという身でしたが、成績が悪かったため奨学金が出なかったそうです。それで生活費と学費の両方を捻出できる新聞奨学生を選んだとのことでした。彼がその後どうなったかわかりませんが、彼がそのときよく言っていたのは、「新聞奨学生というのは就職がものすごくいいんだぞ。なにしろこの仕事は大変だから、卒業まで続けられる奴は体育会系より骨がある。企業もそれを知っている。」


[その3]
 やはり私の同級生で、国立大学の理系に進んだ男がいます。彼もまた家が貧乏で、学習塾にさえ行かせてもらったことがありませんでした。彼は入学後、家賃5000円の寮に入り、少し成績が良かったので学費も免除してもらい、そのうえ奨学金を借りたり家庭教師のアルバイトもしていたので、金銭的にはへたなサラリーマンよりも余裕のある大学生活が送れるようになりました。彼はここで、単なる学問だけでなく、「生き抜く知恵」を学びました。


他にも挙げたらキリがありません。


情報を駆使しましょう。
情報力と行動力で、どんなイバラの道でも切り開けます。


受験に落ちて、浪人が決まった人へ (少しでも参考になれば・・・)


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 久々の「ビンボーでも学校へ行こう」シリーズです。

 実は昨日、元顧問先(借金4億円→1億円以下に減ったのも束の間、売上の急激な落ち込みのため新たな苦しい局面を迎えている自動車関連業者)の社長さんから、
 
「高校3年の息子が、大学受験に全部落ちてしまってひどく落胆している。特に、浪人して家計に負担をかけることに強い罪悪感があるようなのだ。実際、ウチは今、商売の売上が激減してしまって、生活するので精一杯の状態だ。わずか11万円の住宅ローンの返済も遅れているありさまだ。でも親心としては、息子にはやっぱり上を目指して欲しい。・・・そこで敗者復活に強い猫次郎さんに、息子の進路相談をお願いしたいのだが・・・」 

との依頼があり、こりゃ放っておけんなと思い、やりかけの仕事を放り出して某県某所のご自宅を訪ねてきました。


 実は私も、この息子さんと同じような経験があります。

 いや、もっとひどい状態だったかもしれません。

 私は勉強方法いついては自信をもって助言できるほどのものを持ち合わせていませんが、逆境下における敗者復活に限っていえば、ちょっとはお役に立てるかもしれないと思い、まず自分の体験談から話すことにしました。


 ・・・・・


◎ まず高校受験から。

 私は1968年8月の生まれで、練馬区立の開進第三という小中学校を出ました。うちの親は教育熱心でも放任主義でもどちらでもなく、ただ日々の仕事と生活に必死という感じでしたので、子供の頃はとにかく毎日遊びまくっていました。公園で遊んだり、昆虫や魚を捕ったり、テレビや漫画に夢中だったり。ゲーセンにも散々通い詰めました。

 小学校のときの成績は普通でしたが、中学のときの成績はかなりムラがありました。特に中1の後半から中2の後半までの1年間は精神的にかなり揺らいでおり(ちょっとグレかかっていた)、成績は中の下。サッカー部も途中で辞めてしまいました。

 しかし、中2の終わり頃から急激に成績が上がり、中3のときはオール4に5が少々混じるような良い成績に変貌しました。

 成績が急上昇したキッカケは、今だから話せますが、「好きな女の子が頭良かったから」。(注:好きな女の子は途中1-2回変わったが、みんなすごく頭良かったのです)

 少しでも共通の話題が欲しい。少しでも好かれたい。できれば同じ高校に行きたい。・・・そんな思いで、必死になって勉強するようになったのです。授業も(カッコイイところを見せたいので)マジメに聞くようになり、サッカー部も恥を忍んで出戻りました。塾にはそれまで行ったことがありませんでしたが、中3になってから、親に頼み込んで近所の無名の安い塾に行かせてもらうようになりました。

 こうして、高校受験は少し良いところを狙えるようになり、当時オール4、偏差値60くらいの人が入っていた都立石神井という高校に進学することになりました。

 ちなみに、小中学校時代の我が家の家庭環境は、両親の夫婦喧嘩が絶えず、経済状態も不安定極まりないものでした。良いときはヴァイオリンや英会話などを習わせてくれたり家族旅行によく行ったりしていましたが、悪いときは電気や電話を止められたり、給食費が遅れたりすることもよくありました。両親の仕事は小学校の頃からいろいろ手伝っていました。


◎ 次に高校時代。

 高校に入って一番嬉しかったことは、とにかく「自由を手に入れることができた」ことです。校則が無いに等しい高校でしたので、16歳になってすぐにアルバイトを始めました。以後、高校在学中は常にアルバイトしていました(新聞配達、クリーニング屋、スーパー丸正のレジ、日雇いの引越し屋、屋台のたこやき屋など・・・)これで「お金の自由」が得られるようになりました。

 また、オートバイに目覚め、「行動範囲の自由」も得られるようになりました。高校1年のときに原付バイクを買い、2年のときに小型免許を試験場で取って125ccを買い、3年のときには中型も取りました。これで毎週ツーリングに行ったり野宿したり荒川でモトクロスをやったりして遊んでいました。

 部活は硬式テニス部に入りましたが、1年の夏に体を壊して辞めました。以後、部活はやらず、文化祭や体育祭には夢中になって打ち込みましたが、あとはアルバイトとバイクに明け暮れていました。

 授業には毎日出ていましたが、教科書を縦に置いて、マンガや雑誌や小説を読んだり寝てばかりいました。
 当然、成績は激しく落ち込み、1年生のときから中の下で、2年と3年のときは学年最下位レベルで、毎年、留年するかしないかの瀬戸際に立たされているような状態でした。(但し美術だけは「5」しか取ったことがない)

 ある日、担任の先生に「とりあえず大学受験してみようかと思います」と言ってみたら、プッと笑われて、「おまえなあー、その前に卒業できるかどうかを心配しろー!」と云われたことがあります。
(プッと笑われたのが結構くやしくて、このときのことは今でもよく覚えています。ちなみにその先公、じゃなかった先生は、現在、多摩某所の都立高校の校長をしているそうです)

 卒業後に何をしたいか、これといって決めていなかったので、とりあえずカッコつけるために、明治大学を受験しました。当然、落ちました。(年末年始に学校で受けた模試の偏差値は確か38か39かそこらだった・・・)

 高校3年の卒業式のことはよく憶えていません。遊びや課外活動のほうで完全燃焼して一片の悔いもありませんでしたが、勉強を「全く」しなかったことだけが少し悔やまれました。


◎ 新聞配達しながら「宅浪」

 実は、高校のときからずっと好きな女性がいました。 よく文通したり遊びに行ったりしている間柄でした。 たぶん彼女は私のことを「すごく良い友達」としか思っていなかったのでしょうが(泣)、私のほうは、ひそかにかなり彼女に夢中でした。彼女は現役で大学に進学しました。頭も良く、聡明な人でした。(結局、最後まで自分の気持ちを打ち明けられなかった。嗚呼・・・)

 高校卒業後、4月から大泉学園の朝日新聞で新聞配達のバイトを始めました。いや、バイトというよりは社員に近い形で、朝刊も夕刊も集金もやっていました。しかし、どこかくすぶっていました。

 まわりの親しい友人達は大手予備校に通い(うちの高校は大学進学率は高いが浪人率も極めて高い)、好きな女性は一足先に大学に進学。また、別の友人たちは明確な意志のもと、職人になったり専門学校に進んだりしていました。自分だけが無目標で、取り残された感じがしたものです・・・。

 私が本気で「よし、大学に行こう!」と決心したのは、この年(87年)の5月頃だったと記憶しています。そのキッカケは、やはり「好きな人の影響」でした。彼女はいつも、私をより高いところに引っ張り上げてくれました。良い本や良い音楽をすすめてくれたり、正しい考え方や感じ方を示唆してくれたり・・・。(愛の力ってすごい)

 それともうひとつ。 高校時代にアルバイトを10種類位したり、新聞配達の社員まがいのことをしたりするうちに、なんとなく、世の中の仕組みが見えてきたからです。私は将来これといってなりたい職業がない。特技もない。学問がしたいわけでもない。将来自分が何になるのかわからない。わからないままでも別にいいんだけど・・・、だけど、職業選択の自由だけは欲しい。選択できない生き方は嫌だ。選択肢は広ければ広いほどいい。将来、弁護士になりたくなるかもしれないし、商社マンになりたくなるかもしれない。それら広い選択肢を得るためには、やっぱり大学に入る必要があるな、と。

 そんなこんなで、5月頃に一気にスイッチが入りました。

 勉強方法については、予備校に入るお金はたぶんないし(あらためて親に聞くまでもなくそんなことはわかっていた)、仮に予備校に入ったとしても急激に追いついて追い上げる自信がなかったので、自分で緩急ペース配分できる勉強法、つまり、自宅浪人(宅浪)を選ぶことにしました。ただ、100%独学では心細かったので、Z会の通信添削を2科目だけ受けることにしました。

 新聞配達(朝3時半起きx毎日)は続けました。但し朝刊だけです。理由は3つ。お金の心配をしたくないため。軟弱になった自分にカツを入れるため。毎日同じことを繰り返すペース感を持続するため。

 残された時間が限られているので、受験科目は3科目に絞ることにしました。もう国立は狙えません。私立文系です。

 偏差値38からの遅いスタート。アルバイトしながらの自宅浪人。なかなかの逆境です。

 私は自分を漫画の主人公か何かに見立てて、「フッ、俺は逆境になればなるほど真価を発揮できる男なのさ」などと自己暗示をかけて取り組むことにしました。

 佐野元春の「Someday」という曲の歌詞に、
「手遅れと言われても 口笛で答えていたあの頃 誰にも従わず~」
という一節がありますが(中学時代よく聴いた)、まさにそんな心境でした。

 5月から、毎日勉強を続けました。朝は3時半起きで新聞配達。勉強は図書館の自習室が使える9時-6時まで。昼食とわずかな昼寝を除けばずっと勉強。夜は9時までに就寝。

 Z会の難しい問題を、制限時間を一切無視して、辞書を引きまくりながら完全回答を目指して書き上げることを繰り返しました。あとはそれと並行して、参考書と問題集が一体になったような基礎的なものを各科目1冊ずつ、1冊につき1-2ヶ月かけるようなペースでやっていきました。(問題集1冊やりとげるとすごい達成感を感じられるので、そういったささやかな達成感を心のよりどころにしてモチベーションを上げていきました)

 勉強が散漫にならないよう、夏までは英語に1日の半分以上を割き、英語に自信をつけることにし、国語と日本史は少ししかやりませんでした。

 8月頃から毎月2回ほど、模試を受けはじめました。最初はなかなか結果が出なくて焦りましたが、9月頃から一気に英語の成績が上がり、偏差値60近くになりました。これには我ながら驚きました。

 10月頃には英語が60を超え、また国語も60を超えるようになりました。国語は現代文の読解だけは元々得意なほうで(小学生の頃からかなり本好きで、高校生のときには新潮文庫の100冊を全部読んだ)、あとは漢字と古文と漢文だけ克服すればよかったので・・・。 但し日本史だけは偏差値45以下のひどい成績でした。

 秋頃からは興味本位で、Z会の小論文も受講しはじめました。これは思いがけず大変良い訓練になりました。もともと文章を書くのは好きなほうで(これも好きな女の子との文通で鍛えられた。本当に愛の力はスゴイですね・・・) なんと、受講3ヵ月後には模範解答に選ばれるほどになりました。ある模試では偏差値70を超えました。 この時点で、英語と小論文だけで受けられる上位の大学(慶応や青山学院など)が何とか現実的に狙えるくらいになりました。(しかし日本史にこだわった)

 冬が近づいてからは日本史と古文を集中的に勉強し、英語は長文を多読することに努め、年が明けてからは赤本で過去問を片っ端からやるようになりました。

 年末年始頃には国英2科目の模試の偏差値が65以上をキープできるようになり、かなり自信がついて、本命を早慶上智クラスに、滑り止めをMARCHクラスに位置づけることにし、それ以外は受けないことに方針を固めました。(なんという無謀・・・)
 
 年が明けて、正月休み、大学見学をして回りました。外側から眺めるのみでしたが、明治、青学、法政、早稲田、上智などいくつか回った中で、中央大学の八王子校舎に一目惚れしてしまいました。中大はバイク通学OKで、広いバイク置き場があります。自然にも恵まれています。こりゃバイク好きにとっては天国のような環境だな、と。

 ついでにいえば、中大は学費が安い! 当時、早慶上智MARCHの中では中央と明治が一番安かったと記憶しています。

 そして2月。いくつか受けた中で、どうにか補欠も入れて3つほど合格することができ、その中から迷わず、中央大学を選びました。

 大学に入るといろいろな人間に出会えますが、中大もマンモス大学なので、なかなかいろいろな人がいました。私のように新聞配達しながら自宅浪人で偏差値38から這い上がってきたような、しかもその原動力が「愛の力だった」などという変な奴は周りにいませんでしたが、ある意味、それ以上に過酷な環境下にいる人と何人か知り合いました。世間は広い、俺なんかまだまだ大したことないな、と思いました。

 また、大学時代にバイト先で知り合った友人に、もっとすごい男がいました。彼は高校生のときに父親が借金を残して失踪し、母親は他の男と同棲、かなりすさんだ家庭環境で過ごしており、彼自身もなかなかの不良少年だったのですが、高校を卒業して一人暮らしをしてから、私と同じような動機(人生の選択肢を広げたい&好きな子が頭いいから)で猛勉強し、バイトしながら2浪して、東大の理系に進学していました。


◎ 長くなりましたが、

 「神は乗り越えられない試練を与えない」といいます。

 ハワイには "No rain, no rainbow"(雨が降らなければ虹は見られない)という諺があります。

 アメリカには "Where there's a will, there's a way"(意志あるところに道は開ける)という諺があります。

 普通に育った人がわきめもふらずに一直線で頑張るのも十分立派ですが、逆境下で、挫折を味わいながら、七転び八起きの精神で這い上がるのはもっと立派だと思います。

 「人生はドラマだ」といいますが、そうだとしたら、主人公はあなたです。
 せっかくですから、いいドラマを作り上げて下さい。ドラマはサプライズがあるから面白いのです。そう考えれば、不幸もピンチも楽しめるではありませんか。



・・・とまあ、そんな話を昨日してきました。

 20年以上前の昔話に過ぎませんから、どれだけ彼に役立ってもらえたか、わかりません。
内容的にも、成功体験というよりは、どん底から這い上がったという程度のものですし・・・。

 でも、最近この手の話(いろいろな形で受験に挫折してしまった人の話)をよく聞くので、わずかでも励みになればと思い、ブログにUPさせて頂いた次第です。


 猫

猛烈に感動した学習塾


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久々の「ビンボーでも学校へ行こう」シリーズです。



昨夜、レンタカーでトラックを借りて、静岡県御殿場市まで行ってきました。
行き先は、市内のある学習塾。
(ここの塾長さんに、いらない什器備品類を押し売りしてきたのです・・・ゴメンナサイ)

この学習塾、ふつうの「進学塾」とは全く違います。
正反対です。

対象は中学生ですが、学校の授業についていけない子や、高校に進学できるかどうかわからない子、不登校の子などが、割と多く通っている塾なのです。

塾長さんいわく、「親の収入や社会的地位」と「お子さんの学力」は、結構比例するそうです。
悲しいですが、現実です。

もちろん例外も多々ありますが、大まかな傾向として、エリートサラリーマンや公務員や高額所得者のお子さんは学力が高く進学意欲が強いことが多いですが、所得の低い自営業者や家庭環境が複雑な家のお子さんは学力が低く進学意欲が低いことが、やはりどうしても多いそうです。
現場で見ている現実として、間違いなくそういう傾向があるのだそうです。

この塾長さん、大変な苦労人です。
数年前までは全く違った業種の会社を経営されていましたが(ピーク時には従業員50名以上いた)、ヤミ金多重債務、手形不渡り2回、刑事事件に巻き込まれた、など、いろいろなことが起きて事実上の倒産となり、めぐりめぐって現在の学習塾経営(兼講師)に至っています。(都内の私立大学出身で、勉強を教えるのは元々得意だったようです)

ご自身の苦労経験がそうさせるのでしょうか、
この学習塾に通う生徒さんの中には、家庭環境が複雑でまともに通うのが困難な子や、収入が低くて月謝が遅れがちの子も多くいるそうです。 でも、塾長はそんな子たちを絶対に辞めさせようとしません。たとえ月謝が遅れても・・・。

むしろ、好んでそんな生徒さんばかり集めているかのようにも見えます。

勉強を教えるのはもちろんですが、それ以外にも、「自立心」や「逆境を生き抜く知恵」のようなものも随所で教えているようです。


そんな塾長さんと、昨夜、こんな会話をしました。
(押し売りした上に食事までご馳走になりました。スミマセン・・・)


塾長: 「しかし最近の学校の先生はひどいねえ・・・」

猫 : 「どうしたんですか?」

塾長: 「うちの教え子の友達で、複雑な家庭環境と経済的事情のために高校進学が難しい子がいる。この子のお兄さんも中学を卒業してすぐ働いている。 この子は本当は高校に進学したいんだけど、ある日、進路指導の先生に相談したら、何て言われたと思う?」

猫 :  「何て言われたんですか?」

塾長: 「"無理だ。進学は諦めろ。定時制でも不可能だ" と言われたそうなんだよ。 "学費が用意できなきゃ高校には進学できっこないだろ" って。」

猫 : 「そりゃひどい!教師の言うことではない!聞いてて怒りがこみ上げてくるな!」

塾長: 「そうだろ? 定時制だったら働きながら高校に通うことだってできるし、授業料そのものだってそんなにかからない。学力の問題さえクリアすればまず行けるはずだ。 なのにその先生は、定時制にも行けないと言い放ったんだ!」

猫: 「生徒の将来のことをまるっきり考えていない。 それに、あまりにも無知というか、不親切すぎる!」

塾長: 「うちの塾にはそこまでかわいそうな子はいないけど、塾にすら通えない、そんな境遇に置かれている子が周りには結構いるんだ。 彼らにウチの生徒を経由して "お金がなくても高校進学できるんだよ" "自分の道は自分で切り開けるんだよ" と教えてあげるだけで、その子は救われるんだ。希望を見出せるんだよ。」

猫: 「塾長はその子たちにとって、"最後の砦" ですね。 塾長みたいな人がいるから救われる。塾長みたいな人とめぐり会えなかったら、その子たちはきっと、不本意な道しか選択できないでしょうね・・・」

塾長: 「塾の月謝がちょっと遅れたくらい辞めさせないのは、まあ、そういう理由からなんだよ」

猫 :  「(猛烈に感動して) ・・・・・・・・。 」



この学習塾、月謝が安く、お世辞にも儲かっているとは言えません。
そのうえ、月謝の滞納などもあるものですから、塾長さんの生活はおそらく相当苦しいでしょう。

でも、何だかとても充実しているように見えました。精神的に。

生徒さんからも大変慕われているようです。

陰ながら発展をお祈りしたいと思います。心から。



* 実は私も、塾や予備校に通わず図書館で自習して受験勉強したり、学費未納で大学を一度除籍処分になってしまい慌ててリスケジュール交渉(!)して無事なんとか復学できたりと結構いろいろ経験しているほか、家庭教師のアルバイトで不登校の中学生を教えていたこともあるので、今回の話はものすごく共感を覚えました。

 受験を控えた中学生高校生の皆さん。 家庭環境がどんなに複雑でも貧乏でも、自分の道は自分で切り開けます。もし進学したいという気持ちがあるなら、経済的理由では絶対にあきらめないで下さい!お金の問題は情報を集めればなんとかなります!道は必ず切り開けます!




新聞奨学生とは?


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「新聞奨学生」 を知らない人が多いと知って、ちょっと驚いた。

先週、ある人と雑談しているときにわたしが「しんぶんしょうがくせい」の話題に触れたら、その人は「新聞小学生(=新聞配達をする小学生)」と勘違いして、なかなか話が噛み合わなかった。
で、「もしかして新聞奨学生のことを知らないのですか?」と訊いたら、「知らない」とキッパリ言われた。

以来、ちょっと気になりだして、先日ある別の人数名に「新聞奨学生って知ってる?」と訊いてみたら、なんと、ほとんどの人が知らなかった。驚いた。


新聞奨学生とは、新聞社の奨学金制度のことである。
学費の一部または全部を新聞社が肩代わりする代わりに、在学中、新聞配達業務を行うものである。(参考:wikipedia「新聞奨学生」

わたしの経験上の話だが、新聞奨学生は、多くの場合、返済義務がない。
また、住む部屋も与えてくれて、食事も出してくれて、そのうえ、手取りでウン万円のお給料ももらえる。なかなか良い待遇といえる。

その代わり、きつい。

まず朝刊。地域によるが、平均で朝3時か3時半には出勤しなければならない。朝刊配達の前に、まずチラシを新聞に挟み込む作業がある。次にバイクか自転車に積み込む作業。これら一連の作業だけで1時間近くかかることもある。雨の日には新聞をビニールに入れる作業もある。
配達はだいたい2時間前後かかる。雨や雪の日は3時間以上かかることもある。一戸建ての多いところは比較的楽だが、集合住宅、とりわけエレベーターのない4階建ての団地の配達などは非常に体力を使う。
配達が遅いとお客さんから怒鳴られることもある。中には「朝5時までに必着」と注文をつけてくるお客さんもいる。

次に夕刊。これは朝刊と比べるとかなり楽だが、3時半-4時頃から配達を始めなければならないので、学生には時間的に非常につらい。授業と重なることもあるだろうし、課外活動もできない。
配達作業自体は朝刊より30分ほど早く終わることが多いが。

配達以外の業務では、集金や、折込チラシを束ねる作業などがある。あと、「拡張」といって、いわゆる訪問営業をやる場合もある。これらも結構拘束時間が長い。

以上はわたしの20年以上前の経験談である。

わたしは「新聞奨学生」はやらなかったが、高校2年のときから、足掛け3年半ほど、実家に住みながら「アルバイト」として新聞配達をしていたことがある。ほとんどが朝刊のみだったが、浪人生のときだけは朝刊も夕刊もやった。このとき、新聞奨学生の人が同じ職場に沢山いた。場所柄か(大泉学園)、多くは専門学校だったが、中には私立大学に通っている人も少しいた。

台風の日も、雪の日も、試験前の日も、二日酔いの日も、とにかく毎日配達しなければならない。毎日同じことをやるのは本当に大変だ。これに耐えられなくて途中で辞めてしまった人も少なくなかった。夜逃げしてしまった人もいた。

そのかわり、卒業までやり通した人はすごかった。新聞社が奨学生のための終了式を豪華ホテルで開催してくれるのだが、ここで感極まって泣く人は多いという。なにしろヘタな体育会よりもきついのだから無理もない。社会もこれを高く評価してくれるようで、新聞奨学生をやり遂げた人の就職活動での優位性や就職後の人事評価はかなり高いことが多いようだ。とにかく、得るものが多いことは確かだ。


わたしは、親がビンボーで学費や生活費を親に頼れない学生さんにとって、新聞奨学生が「最後の砦」だと思っている。 確かに半端なくキツイが、学費調達以外にも、親から完全に自立できることや、自己鍛錬できることなど、その効果は計り知れない。 育英会もダメだった、社協もダメだった、もうどこも頼れない、だけど学校には行きたい、親元も離れたい、と思っている学生さんにはいいかもしれない。

ただ、本当にキツイので(現代の蟹工船とか奴隷制度などと呼ばれることもある)、途中で挫折しても自暴自棄にならないでほしい。基本的に新聞奨学生を途中で放棄したりすると、立替えてもらった学費をすぐに返還しなければならないなどのペナルティを受けることが多いのだが、これも上手にやれば退学しないですむはず。たとえば大学の学生課にじっくり相談して、途中から別の奨学金に切り替えたり。知恵を絞れば道は開けるはずだ。

とにかく、苦労を承知で新たな一歩を踏み出すことに意義があるのだと思う。



学費免除、奨学金増枠、授業料滞納問題に関するニュースをまとめて。


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当ブログには 「ビンボーでも学校へ行こう」 というカテゴリーがあるわけですが、その関連のニュースをまとめてUPします。


・ 景気悪化などで学費の支払いが困難となった学生の増加を受け、淑徳大学(千葉市)は16日、平成21年度の入学生と、一部の在学生を対象に、1年間の学費を全額免除する「緊急学資支援特別制度」を導入すると発表した。(産経新聞2009/1/16より

・ 経済的事情で修学が困難な学生を救済するため、立命館大(京都市)は14日、大学独自の奨学金を来年度、約3億円(約700人分)増額することを決めた。関西の大手私大で奨学金増額を決めたのは初めてという。(2009/1/14 産経新聞より

・  私立神奈川大付属中・高校(横浜市)は25日、金融危機による景気悪化の影響で授業料の支払いが困難となった生徒に対し、授業料3カ月程度を給付すると発表した。(2008/12/25産経新聞より

・  全国で授業料を滞納している私立高校生が平成20年末時点で2・7%にのぼることが、日本私立中学高等学校連合会の調査で分かった。19年度末よりも3倍に増えており、長引く不況の影響が色濃く出る結果となった。塩谷立文部科学相が10日午前の閣議後会見で明らかにした。(2009年2月10日産経新聞より

・  親を失った学生を支援している「あしなが育英会」(東京都千代田区)は9日、奨学金を得ながら高校に通う奨学生の1割近くが、不況の影響で卒業後の進学を「断念した」とするアンケート結果を公表した。昨年9月と比べて「生活が苦しくなった」という回答も8割に上っており、育英会は「一人でも多く進学できるよう支援をお願いしたい」と呼びかけている。(中略)
 9月以降の生活の変化では「とても苦しくなった」「苦しくなった」「やや苦しくなった」の合計が639人(79%)に上った。母親の失業率は9%を超えており、昨秋以降、勤め先の倒産や解雇で失職した母親も36人いた。仕事がある場合でも、6割近くはパートやアルバイトなどの非正規社員だった。
(中略)
 格差の拡大などにより、育英会への奨学金出願者は年々増加し、08年は2808人と過去最高を更新した。今回の調査でも、7割近くが「奨学金があるから学校に行かせてやれる」と答えており、「奨学金だけでは間に合わないほど生活が苦しい」という母親も110人いた。
 だが、育英会の寄付金や返還金収入は増えていないため、08年の大学進学希望者への奨学金貸与率は過去最低の62%にとどまっている。アンケート結果を踏まえ、育英会は遺児家庭への支援拡充を要望していくという。 (2009年2月9日 毎日新聞より


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以下、わたしが口癖のように言っていることですが、

たとえどんなに家がビンボーでも、親が倒産したり破産したりブラックになったりしても、奨学金や学費免除や福祉の教育資金貸付は受けられますし種類も多いですから、けっして進学を諦めないでください。意志があれば必ず道は開けます。

家計が苦しいからこそ、お子さんは前進するべきです。目先の問題にとらわれないで、長期的・大局的に物事をとらえるべきです。親子で負の連鎖に陥らないためにも。

いっぽうで、既に奨学金の給付を受けて無事に卒業できた社会人の人は、これを頑張って返すべきです。サラ金や住宅ローンはその次です。 奨学金は督促がユルいですが、甘えてはいけません。督促のきついサラ金などを後回しにしても、奨学金は返しましょう。 それが次の世代に生かされていくのですから。(ちなみに、自己破産して免責になった後でも、自由返済や寄付という形で奨学金団体に返すことはできると思います。)


* わたしがそのうち宝くじに当たって億単位のカネができたら、是非やりたいのが奨学金ですね。
名づけて 「ブラック奨学金」 あるいは 「親離れ奨学金」。
親が倒産や夜逃げなどで悲惨な目にあっていて育英会も社協の貸付もどこも利用できない特殊な事情を抱えた子を対象に、お子さんから直に申込を受けて、お子さんとだけ面接して、その子が自立心旺盛でしっかりしている場合に限り、成績の優劣や進路を問わず、必要な授業料や生活費や住居や留学費用などを、必要なだけ無利子で貸与する。返済は社会人になってから10年以内。利息はいらないけど、将来出世したら次世代の奨学金の財源として寄付でもしてくださいよ、的な趣旨で。




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プロフィール

吉田猫次郎とNEKO-KEN相談員

Author:吉田猫次郎とNEKO-KEN相談員
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【NEKO-KEN】
中小・零細企業・自営業向け事業再生コンサルタント。東京都中野区。
経営革新等認定支援機関(認定支援機関)。
末期症状の会社の倒産回避(生き残りのための応急処置)から、原因究明、デューデリジェンス、再生スキーム策定、金融機関向け経営改善計画策定支援、資金繰り改善、PL改善(黒字化)、実行支援、最後の出口へのお手伝いに至るまで、事業再生コンサルタントとしては一通りの経験と実績があります。
ミッションは「ヒト・モノ・カネの再生」。


【吉田猫次郎】
(株)NEKO-KEN代表取締役。
本名よしかわひろふみ。1968年東京生、乙女座、A型、申年、五黄土星。
著書12冊。講演300回以上。テレビ出演15回くらい。
20代のサラリーマン時代に高額の連帯保証人になり、その後、1998-2000年の脱サラ時に、借金苦・倒産危機で考えられる最悪の事態をほぼ全て体験したことがある(高利、多重、ヤミ金、怖い取立て、手形不渡り、ブラックリスト、強制執行など・・・だが自己破産はせず)。その体験記を、2001年に猫次郎と名乗ってホームページに公開したところ、思いがけずヒットしてしまい、2003年に書籍化。以後、事業再生コンサルタントに転身し現在に至る。
最近はスポーツらしいこともするようになり、2012年(44歳)から現在までにトライアスロンに8回出場、全て完走。フルマラソンも2回出場、2回完走。
嫌いな食べ物は、ダイコンと漬物。特に「たくあん」が大の苦手で、あれを食うのは、どの拷問よりも苦痛だと思う。

【相談員】
須田幸雄: CTP認定事業再生士。資金繰り改善、財務体質改善、労務、管理等に強い。

廣田守伸: CTP認定事業再生士。関西地区担当。事業再生コンサルタント歴16年以上の大ベテラン。

金久保 健: 中小企業診断士歴20数年。マーケティング、事業性評価、PL改善に強いが、事業再生コンサルタントとしても10年近い実績がある。

 
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★ このブログは長い間、吉田猫次郎ひとりで書いておりましたが、2017年8月より、3名の相談員と共同作業で投稿していきます。お楽しみに。

 
 
 
 
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震災後に倒産しない法
 
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「連帯保証人」ハンコ押したらすごかった。でもあきらめるのはまだ早い!
 
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